mixiユーザー(id:62853383)

2021年08月24日13:29

309 view

劉備の息子は過小評価されている

最も憧れた「三国志」の登場人物ランキング
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=6640560

国を滅ぼしたり傾けた人物は暗君扱いされるのは世の常ですが、劉備の息子の劉禅は名君だと思うし、私は立派な人物だと評価しています。
劉禅を愚かと考えるのは非常に短絡的な考え方だと思います。
彼は初代皇帝劉備の後を継いで皇帝になりましたが、そもそもこの蜀の地は劉備とは関連性が無く他の一族から奪い取った土地でした。
つまり全くの外来政権で歴史が浅い国なのです。
にもかかわらず、劉禅は皇帝に即位してからは40年、諸葛亮の死後から考えても30年間大過なく安定した政体を保っています。
その間には宦官黄皓の台頭や姜維との対立など様々な不安要素はあったものの、内乱や飢餓や簒奪などの危機的状況は起きておらず、その滅亡も魏の大規模な攻勢によるものでした。

司馬昭の皮肉に笑って答えた逸話は有名ですが、
コレはむしろ武帝司馬炎の父である司馬昭に諂わざるを得なかったが故の態度だったと解釈すべきでしょう。

司馬昭は相国として魏の実権を握っていた実力者であり、皇帝である曹奐(元帝)すらも憚る存在でした。
前皇帝である曹髦は司馬昭から実権を取り戻そうとして挙兵し、逆に殺されています。
こんな人物相手に亡国の王たる劉禅が本音を吐けたはずもなく、おそらく屈辱に耐えながらの道化者のフリだったのではないでしょうか。

国を滅ぼした人物は日本だと桶狭間の今川義元もそうですが暗愚というみられ方しますけど、劉禅も今川義元も超一流の人物だと思いますね。
特に劉禅は室町幕府の足利義持と同じくらいの名君だと思います。
足利義持は明の永楽帝の支配下に入らず独自な路線をキチンと貫いた、
オヤジの義満みたいに目先の利益に釣られてホイホイ動かなかった見識。
明国に従属するという関係でしたが、足利義満は明国との勘合貿易を独占することによって強大な経済力を手に入れ、これにより天皇・守護大名を圧倒する権力基盤を築きましたが、こうした屈辱外交には様々な批判が巻き起こりました。また義満が朝廷をないがしろにする態度に対しても批判がありました。

4代将軍・足利義持もこのような父の卑屈な態度に批判的であり、また体制破壊者の父と違い、旧来の朝廷と幕府の関係を是とする(伝統主義と万世一系の維持)義持にとって明国に対して下手に出る必要はまったくありませんでした。
一方、現実問題として自分が父ほどの求心力がないという自覚をもっていたし、自らの実力を知っていたことから、陰の実力者といわれる斯波義将(義持が父の政策を大転換したのも義将の進言によるもの)を補佐役としてそれを補っていました。さらに「日本国王」の呼称を返上し、「日本国源義持」と名乗ろうとしたことから、彼は足利将軍家だけが突出すると、守護大名の心情は穏やかでない(足利幕府は守護大名の連合体であった)ことを悟っていることから、自分の能力や置かれた立場を自覚しており、劉禅と同じく決して惰弱で無能な将軍ではなかったと思います。
3 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する