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2021年06月27日15:37

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マーラー「交響曲第7番『夜の歌』」(ペトレンコ&バイエルン国立管)

【収録曲】

マーラー: 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

バイエルン国立管弦楽団(管弦楽)
キリル・ペトレンコ(指揮)

録音:2018年5月28,29日,バイエルン国立歌劇場,ミュンヘン,ドイツ
Bsorec BSOREC0001(ライブ)


このディスクはバイエルン国立歌劇場が立ち上げた自主レーベルからのリリース第1弾。タクトを執るのは,前音楽監督のキリル・ペトレンコ。

ペトレンコとバイエルン州立管弦楽団によるマーラーの交響曲第7番は,一般的に想像しがちなこの曲のイメージとは少しかけ離れたようなところがある。室内楽的な要素と明朗で快活な要素が強い。大管弦楽を使いながらも弦楽四重奏団のような緻密なアンサンブルが際立ち,マーラーにしては楽観的な雰囲気が底流にある。今までのマーラー観を一変させるだけのインパクトを持つ。一方で,この作曲家の新しい一面を強調した結果,新しい疑問が生じたことも確か。

とても緻密な音楽作りは予想以上。マーラーのオーケストラ作品ではないような演奏で,まるで室内楽作品のようにきこえる。よく調べてみると,交響曲第7番は室内楽的な要素が強い交響曲だという指摘もある。支離滅裂で破天荒な交響曲というイメージは単なる思い込みで,正統的なアプローチによる演奏といえる。

第5楽章のロンド・フィナーレや第3楽章のスケルツォの印象が強烈で,これまでどこか分裂症的な色彩の強い音楽だと思い込んでいた。実際,この点に焦点を当てた野性味豊かなレコーディングやステージを多かったように思う。統一のとれない楽章を無理やり結びつけて,ひとつの交響曲に仕立て上げた作品だと理解していた。でも,この交響曲が組曲的な構成原理を持つ管弦楽のための室内楽的な作品だとすれば,これまで抱いてきた寄せ集めでできた音楽という違和感は解消し,この作品を従来とは別の視点から統一的に理解することが可能となる。

この作品の演奏に対するこうした印象の背景には,オペラハウスのオーケストラが演奏していることにあるだろう。とりわけ,「トリスタンとイゾルデ」,「ニュルンベルクのマイスタージンガー」,「ラインの黄金」,「ワルキューレ」を初演し,ワーグナーの作品をレパートリーの中心としているバイエルン国立歌劇場のオーケストラが演奏しているからこそワーグナー流の室内楽的な表現が可能となったような気もする。第3楽章「スケルツォ」を挟む第2楽章と第4楽章の「ナハトムジーク」は,日頃からワーグナーを多く演奏する歌劇場のオーケストラならではのピアニッシモの表情豊かな表現に満ちている。その柔らかさ,適度な湿り気,ある種の透明感など,ワーグナーの演奏で培った伝統に根ざした独自性によって支えられていることが分かる。

もちろん,マーラーの交響曲第7番のワーグナー的な表現はオーケストラの伝統だけでなく,指揮者の並外れた緻密な譜読みと精緻な表現によって支えられていることも事実だ。いうまでもなく,この録音はバイエルン国立管弦楽団のマーラーであると同時にペトレンコのマーラーでもある。彼がマーラーのスコアから読み取った音楽を彼一流の手法で表現した音楽だと思う。これまでペトレンコは彼が目指すマーラーの第7番を表現しうる最適なオーケストラを探し求めていたのではないだろうか。そして,ついに彼のマーラー第7番を実現しうる理想のオーケストラを見つけたような気もする。もしそうだとすれば,指揮者と管弦楽団の遭遇が可能ならしめた演奏ともいえる。

このCDに収められた演奏にもマーラー独特のほの暗いイメージが刻印されているものの,明朗さを基調とした音楽という印象も強い。もっと正確に言うなら,明朗さというより透明感と表現した方が適切だろう。曇りのない透明感をベースに人間的な温かみが加わる。この温もりを湛えたクリアーな響きは,この作曲家特有のユーモアをも表しているようにもきこえる。もちろん底抜けの諧謔ではなく,どこかぎこちない可笑しさではあるが。とにかく必要以上に深刻にならならず,息苦しさを感じさせないところに好感を持つ。

とはいえ,この明るさが指揮者やオーケストラの傾向や好みを反映した結果である可能性も全面的に否定できないだろうが。この交響曲が持つ明朗さには,もっとさまざまな要素が含まれる複雑さに富んでいる方がより適切なのではないだろうか。例えば,第5楽章などは楽曲を盛り上げるフィナーレであると同時に,この作品自体が冗談なのですと最後に主張したら面白いのではと,つい余計なことを考えてしまう。もちろんマーラーがそんな音楽を書くとは想像し難いけれど。

このディスクは近代の音楽史でワーグナーとマーラーを結びつけるうえでも重要だ。この録音を聴くまで,マーラーがワーグナーから大きな影響を受けていたことは知っていたつもりだったが,ではどのような経路でいかなる影響を受けていたかを具体的にたどることは難しかった。ワーグナーがブルックナーにどのような影響を与えたかを示すことができても,ワーグナーの和音を重視した音楽とマーラーの対位法的な旋律の絡まりを結び付けるのは心許なかった。このディスクを聴いて,後者の関係を追求する手がかりを見つけたように思う。

このディスクはマーラーについて多くのことを教えてくれた。一方,彼の交響曲第7番の魅力がその支離滅裂さと破天荒さにあるということが,単なる誤解である可能性を示す結果になりそうなのは少し寂しい。そういう要素を強調するため単純化するのは止む得ない。だからと言ってそれ以外の要素のウエイトを小さくし過ぎてもいけないと思う。どういうバランスで表現するかが大事だが,往々にしてそれが感覚の問題になりがちなところが最も難しいところなのでは。マーラーに関する疑問がひとつ解けたと思ったら,別の疑念が生じた。
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