父にとってもう一つラッキーだったのは、
配属先が奈良と京都という空襲を免れた地ばかりだったことです。
おかげで父は空襲に遭ったことも1回しかなかったと言っていました。
そして、その1回も戦うのではなく即待避だったとのこと。
かなり即席だったと言えど、時間とお金をかけて教育した飛行兵を、
慣れない機銃で対空砲火をさせて消耗するのは勿体ないと言う思惑があったようです。
東京の家からは遠いので家族は面会に来られないだろうなと思い、
休みの日は名所旧跡を巡って古都の生活を満喫していた父ですが、
あの日、身体が弱く寝たり起きたりの生活だった養母が面会室に現れた時は、
嬉しかったけれど自身の目を疑ってしまったと言っていました。
それでもまあ養母は面会可能な休日の昼間にやって来たのですが、
養父が面会に訪れたのは平日の消灯時間をとうに過ぎた時刻。
夜中にたたき起こされた父は、
家に居た時ですらたまにしか見なかった礼服で正装した養父が、
面会室にいるのを見た時は養母の時以上に驚いたそうです。
ちなみに、礼服で正装していたのは養父の作戦で、
ある程度地位の高い軍人だとアピールして、
移動の最中に立ち寄ったと言えば時間外でも面会を許して貰えるだろうし、
戸籍上は親族がいないことになっている父も、
後ろ盾があると分かれば蔑ろにされないだろうと思っての正装でした。
職業軍人として軍隊という組織をよくよく知り尽くしていた養父は、
面会室で父と2人きりになるといきなり懐からかなりぶ厚い札束を取り出し、
軍隊でもなにかの折は現金を持っていると役に立つからと、
靴の中敷きにでも隠し持っておくようにと指示しました。
そして、もう一つとっておきの処世術を伝授しました。
起床ラッパが鳴ったら1番に身支度を調えて整列すること
1日中機敏に立ち働けと言っても父には無理そうなので、
朝だけでも1番なら機敏さをアピールでき好印象を与えられるだろうという作戦ですが、
機敏さとは縁遠かった父は普通に支度をしていたら1番にはなれません。
かと言って、起床ラッパが鳴る総員起こしの前に立ち歩いて支度をするのは厳禁です。
ただ、例外はありました。
当たり前ですが起床ラッパが鳴る前でもトイレに行くことはできるのです。
そこで父は起床30分前にトイレに起きるふりをして、
こっそり洗面所で洗顔と歯磨きをすませ、
制服に着替えてから寝床に戻って起床ラッパが鳴るのを待つことにしたのです。
早起きは得意で30分前起床も苦にならなかった父ですが、
たった1度だけ30分前どころか起床ラッパにすら気付かないで、
激しく寝過ごしたことがありました。
でも、普段1番に整列していた作戦が功を奏し、
寝過ごしたとは思われず起き上がれないほど気分が悪いのだろうと誤解され、
医務室のベッドで休みなさいと言われたそうです。
それは昭和20年の8月15日のことでした。
(その4に続く)
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