<自己の義務(ダルマ>
その個人の中心主体は常に存在し、あまねく存在し、不滅であるから、彼が殺されても彼の主体は消滅しない。だから嘆くことはない、とクリシュナは説きます。
我々には一人一人、霊魂のようなものがあります。それは不滅で、人が死ぬと輪廻の主体となって他の身体に移り、再生するとされます。しかもこの霊魂のような存在は、永遠に実在します。このような存在に思いはせ、その存在を確信するとき、人はもはや自分や他人の死を恐れることはなくなります。
クリシュナはそのような存在が実在することを理性的に説いて、人を殺したくないというアルジュナの悩みを解消させようとしたのです。
人は常に生まれては死んでいきますが、クリシュナはそれを嘆くべきではないと教えます。
第2章(田中訳)
27.生まれたものは必ず死に、死んだものは必ず生まれる。必然、不可避のことを嘆かずに、自分の義務を遂行しなさい。
このような輪廻の道理によって生死を繰り返しているのだから、死を恐れる必要はないと説くのはもっともですが、しかしクリシュナの場合は、だから戦って敵を殺せとアルジュナに勧めています。それでは「ギーター」は人殺しを勧め、人を戦争に駆り立てる教えなのか、という疑問が生じるかもしれません。ただし、「ギーター」は無差別に人を殺してよいとは決して教えていません。ただアルジュナのような戦士が、戦場で戦士としての義務(ダルマ)を放棄すべきではないと説くのです。戦士は戦うべきであるというのが常識であったことは、いうまでもありません。
日常的なレベルで、死も生も同じだと言っているのではないのです。ある非常に高い境地に達したときに同じものになり、すべて平等になると説いているのです。決して日常的なレベルで人殺しをっ進めているわけではありません。
31.武士階級(クシャトリア)の義務から考えても、正義(ダルマ)を護るための戦いに、参加する以上の善事はないのに、どこに、ためらう必要があるのか。
クシャトリアというのは、戦士、武士の階級です。昔からインドにはカーストという階級制のようなものがあって、現在に至るまで、多種多様なカーストがあることはよく知られています。そしておのおのの階級の人がそれぞれの義務(ダルマ)を守るべきであると規定されています。
戦士であるクシャトリアは、もし戦場で自己の義務を遂行しなければ、非常に不名誉なこととされていました。
第2章(田中訳)
33.だが若し、この正義の戦いに、君が参戦ならば、義務不履行の罪を犯すことになり、武人としての名誉を失うのだ。
34.後の世までも人々は常に、君の汚名を語りつぐだろう。名誉ある者にとって、この屈辱は、死よりも耐え難いことではないか。
35.今まで君の名を讃えていた武将たちは、君が戦いを怖れて、戦場から逃亡したものと思い、卑怯者よ、臆病者よと軽べつするだろう。
36.敵方の者たちは、口をそろえて、聞くにたえぬ言葉で悪口を言い、君の能力を見くびって罵るだろう。これにまさる苦痛があると思うか。
37.おおクンティーの息子よ、君が戦死すれば、上級の星界に往って天国の幸を味わい、勝てば地上で王侯の栄華を楽しむのだ。さあ、立ち上がって戦う決心をしなさい。
クリシュナはこのようにアルジュナを元気づけますが、戦って人を殺せば罪になるのではないかという恐れは必ずつきまといます。
ところが、社会生活をして、社会的義務を果たすと、どうしてもいろいろと罪悪を犯さなければならない場合も出てきます。例えば軍人なら、人を殺さなければなりません。それでは、
社会的義務を果たしてしかも罪に陥らないためにはどうすればよいか、ということを「ギーター」は教えています。クリシュナによれば、この世のすべてを平等なものと見ることがその解決法であるといいます。
第2章(田中訳)
38.幸と不幸、損か得か、また勝敗のことなど一切考えずに、ただ義務なるが故に戦うならば、君は決して罪を負うことはない。
苦楽、損得などのすべての相対的なことを離れ、すべてを平等に見れば、我々はもはや行為の結果に束縛されることがない。これこそ「ギーター」が繰り返し強調するところです。結論を先にいってしまえば、平等の境地が実現すればヨーガが完成し、悟りの境地に至ることができる。すべてはそこで渾然一体となって、あらゆる相対的なものが消え失せてしまうと説いているのです。
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