石原まき子さん「俺が死んだら…」遺言ようやく実行
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6161115
石原裕次郎(1934~1987)が昭和38年に設立した石原プロモーションが来年1月16日に58年間の歴史に幕を下ろす、ですか。映画「黒部の太陽」や「大都会」、「浮浪雲」、「西部警察」といったテレビシリーズを手掛け、石原裕次郎自身や渡哲也、舘ひろし、神田正輝と言ったスター俳優を擁し、「石原軍団」と呼ばれるほどのその結束力の強さをなどで一時代を築き、石原裕次郎亡きあとは渡哲也が社長を継承して平成23年までその任にあり、徳重聡や田川大樹、近年も神田穣、増本尚といった若い俳優を「次世代の石原裕次郎」といったテーマなどでのオーディションでデビューさせたりするなど活動を続けていました。阪神・淡路大震災や東日本大震災などでの「炊き出し」でも注目されていましたが、テレビドラマの撮影中の事故で観衆が負傷する事故が起き、また昨今は現在78歳の渡哲也の健康上の事情に加えて舘ひろし、神田正輝が今年で70歳になるなど中心俳優の高齢化もあり、その業容の縮小が取り沙汰され、石原裕次郎の命日である今日(7月17日)に何等かの発表があると言われていました。
そうした中、石原プロが関係各所に挨拶状を送付し、石原プロモーションとして俳優のマネジメントを行ってきた部門を廃止し、音楽、映像遺品、肖像権等の管理、展示業務等を行う「株式会社石原音楽出版社」と遺品等の保管、維持管理等を行う「一般社団法人ISHIHARA」の2つの法人が実質的に継承する形になるのだとか。
石原裕次郎夫人であり、現在も代表取締役会長の職にある石原まき子名で送付された挨拶状曰く、
2021年1月16日(1963年1月16日石原裕次郎起業)を持ちまして、株式会社石原プロモーションの商号を故石原裕次郎氏仏前に返還することに全員一致で決定いたしました。
芸能部業務に関しましては、俳優の所属契約をなくして今後に於いて双方で話し合い誠心誠意をもって考えてまいります。
版権管理業務等に関しましては、以下の法人で行う予定です。
1.株式会社石原音楽出版社 音楽、映像遺品、肖像権等の管理、展示業務等
2.一般社団法人ISHIHARA(2020年起業予定) 遺品等の保管、維持管理等
当面は弊社にて従前の業務を継続いたします。五十数年にわたり弊社を支えてくださいました皆様方に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
末筆ながら謹んで申し上げます。この様な結論にいたりましたその訳を、私石原まき子よりご説明させていただきます。
昭和62年7月17日石原裕次郎が亡くなる際に「俺が死んだら即会社をたたみなさい」これが遺言でした。しかし、俳優さん、スタッフの皆さんはいつも生き生きとされていて会社に対する愛情の強さがひしひしと感じられ、この人達ならば会社を、お任せするべきと思い、遺言を言い出す事が出来なくなっておりました。その結果として皆様方ご存じのとおり、亡き後30数年間無事に会社を運営して頂いた次第です。
しかし私も高齢と体力の低下により実務が難しくなる事が多くなって参りました。そこで渡さん、舘さん、神田さん、役員、スタッフの皆さんに相談いたしました。「裕次郎さんらしく惜しまれるうちに株式会社石原プロモーションの商号を返しても裕次郎さんは承知してくれるのではないですか」と賛同を頂きましたここで遺言を実行いたしました。
この様な重大な事柄を突然記者会見も無しに発表致しますことをお許しくださいませ。俳優さん達の今後に関する詳細は、当方にてしっかりと責任をもって対応してまいる所存でございますので、何卒あたたかくお見守り頂ければ幸いです。
50数年間に渡り皆様方には株式会社石原プロモーションを陰日向なく支えて頂き心より感謝申し上げます。略儀失礼ながら書面書中をもちましてお知らせ申し上げます。長きに渡り本当に有難うございました。
株式会社石原プロモーション 代表取締役会長 石原まき子
とのことですが、石原裕次郎が亡くなる際に「俺が死んだら即会社をたたみなさい」と言う遺言を遺していたのは初めて知りました。石原裕次郎が築き上げた「石原軍団」の結束力は自分が中心になって引き継いでいくと言う決意のもと渡哲也が社長職を継承した際は、それが石原プロモーションならではの「生きる道」だと思って見ていましたし、徳重聡などを輩出したオーディションを続けて行ったのもその一環だったのだろうと思って見ていました。石原まき子会長は「俳優さん、スタッフの皆さんはいつも生き生きとされていて会社に対する愛情の強さがひしひしと感じられ、この人達ならば会社を、お任せするべきと思い、遺言を言い出す事が出来なくなっておりました」とし、「亡き後30数年間無事に会社を運営して頂いた次第」と続けていますが、晩年の約10年の間に舌癌、舌下白板症(術後部の潰瘍のため再手術)、解離性大動脈瘤、肝臓癌(肝細胞癌)、肝内胆管炎、そして肝性脳症と幾多の病気に悩まされながら活動を続けていたことも理由の一つにあったのかもしれませんが、「亡き石原裕次郎の遺志を継ぐ」「亡き石原裕次郎の名を恥じぬよう」などと、石原プロモーションの"その後"に携わった人々にとっては、こういう遺言があったことは、相応に衝撃的に感じたのではないかと思います。
残る者達を慮っての遺言だったのかもしれないにせよ、「会社をたたむ」と言うことは石原プロモーションの"その後"はあって欲しくなかったことを意味するに等しい訳で、石原まき子会長としても(立場上としても)渡哲也など後継者の奮闘を見守って来た中で石原裕次郎の遺言を"封印"していたので、いつかはこの決断を降す時期が来るはずと思いながら、この33年を過ごしたのかもしれません。
3年前に石原裕次郎が幼少期を過ごした北海道小樽市に作られた「石原裕次郎記念館」が閉鎖された際、石原プロモーションの事業終了を決めていたのかもしれませんが、石原まき子会長としては"肩の荷が下りた"と言う感じなのでしょう。残る俳優には若い人もいますが、その心境はどうなのでしょうか……。
ログインしてコメントを確認・投稿する