【プログラム】
シューベルト: ドイツ舞曲 D820(ウェーベルン編)
モーツァルト: 交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
ベートーヴェン: 交響曲 第7番 イ長調 Op.92
(アンコール)
モーツァルト:カッサシオンK.63より”アンダンテ”
札幌交響楽団(管弦楽)
マティアス・バーメルト(指揮)
2020年2月1日(土),14:00開演,札幌コンサートホール
今年,最初の札響定期演奏会は,隅から隅までバーメルトの色に染め上げられたコンサートだった。あたかも,バーメルトが作曲を学んだピエール・ブーレーズが,新旧ウィーン楽派の作品を振ったかのような,精緻かつ気品に満ちた演奏という意味だ。この日のプログラムの中でこうした特色が最も色濃く表れていたのは,ウェーベルンが編曲したシューベルトの「ドイツ舞曲」。モーツァルトにしろベートーヴェンにしろ,ウェーベルンが編曲したシューベルトと同じ音楽が響いていた。札響もバーメルトの要求に上手く応じていた。両者の相性が抜群に良いことの証だろう。
シューベルトの原曲「ドイツ舞曲D820」は,全6曲からなるピアノ独奏曲。12音技法の確立に大きな貢献をした新ウィーン楽派のウェーベルンが,シューベルトのピアノ曲を管弦楽用にアレンジしたのが第1曲目の作品。全6曲の演奏時間がほど10分なので,ウェーベルンの他の作品と同じくらい短い。オーケストラが作る響きもウェーベルンの音楽にそっくりなところがある。
そのような音楽を十分な透明感で,各声部を精妙な響きで描いてゆく様子はブーレーズを彷彿とさせる。それに加えて,えもいわれぬ上品さが漂う演奏である。ウィーンの宮廷から連想するエレガンスを21世紀現代の5つ星ホテルに移し替えたような気品が漂う演奏である。現代建築にありがちな無機的な要素は控えめで,19世紀から20世紀にかけてのウィーン世紀末の雰囲気が混じっていなくもない。この作品の演奏では,札響の管楽セクションの質の高さが目立った。新ウィーン楽派の作品の演奏の鍵を握るのは管楽器である。もちろん高度なテクニックが求められることはいうまでもないが,それがヴィルトゥオージティに走ってしまうことはない。あくまでも,目立ち過ぎないようオーケストラとのチームプレイに徹しつつも,曲が求める高度な演奏技法を駆使しつつ,聴衆にはさりげない印象を残すことも忘れない高難度な要求に応える。弦楽セクションのしっとりした弦の音色が満たすプールのきれいな水の中を優雅に泳ぐ色とりどり魚の群れを思い起こさせる「ドイツ舞曲」だった。
モーツァルトの「交響曲第39番」も第1曲目と同一コンセプトの演奏。この曲の演奏でも,「第39番」の特徴といえる喜遊感を誇張することなく,作品そのものに語らせるといったアプローチである。もちろん,曲自身の性格に加えトランペットやティンパニが参加するため,自然に演奏は華やかな喜ばしさが増す。「ドイツ舞曲」と比較すると,どのオーケストラ・パートも輝く光に包まれる。夏の真っ盛り,太陽の強い光線を浴びて揺らめく高原の湖の水面といった趣だ。どこか開放的であり,わき起こる幸福な気分に満たされる夏の一日を思わせる。この曲でも札響はバーメルトの意図を先回りするかのように,指揮者の意向に応える。プロのオーケストラらしい柔軟性を存分に発揮した演奏だった。ここまで意気投合できるのは不思議な気もする。
ベートーヴェンの「交響曲第7番」も,先の2曲と同じ路線。この作品はしばしば酔っ払いの音楽と揶揄されることがある。だが,バーメルトと札響による演奏は,酔っ払いという表現から連想される人間臭さはあまり感じられない。どちらかというと,優雅なダンス・パーティーのような雰囲気を身にまとっている。もちろん,そこには泥酔する不届き者は誰一人居ない。会場も最近竣工したばかりの高級ホテルで,従業員の行き届いた心配りが,パーティーをスムーズに進行させている面も大きい。会場が静まりかえっているわけではないものの,羽目を外す者はいない。とはいえ,舞踏の効果だろうか,いつもとは少々違う熱気に包まれているのも事実。あくまでも上流階級の紳士淑女が舞い踊る典雅なマナーとエチケットが支配する世界のベートーヴェンの第7番である。舞踏に没頭しつつも,優雅さを決して失わなず,これら二つが絶妙にバランスした演奏といえる。矛盾しがちな要素を調和させるバーメルトの手腕が魅力の演奏といえる。どちらかというと,酩酊した酒好きが大活躍するバッカスの祭典のようなヤノフスキの第7番と対極をなすような演奏である。
首席指揮者と交響楽団との抜群の相性を感じさせる今年最初の定期演奏会だった。
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