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2019年05月29日13:06

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ギーター「汝の行為のすべてを神に与えよ」



バガヴァッド・ギーターでは、あなたの為すべき行為をただひたすらやりなさい。その行為の結果の善い悪いや損得に拘わらず、為すべきことはやりなさい。
そしてその行為を神に捧げるために行いなさいとあります。


第2章【ギーター全体の要約】

47.あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。


そして、私が心の底から納得できたのが、「科学で解くバガヴァッド・ギーター」で次の教えの解説です。

第9章 もっとも神秘な智識
27.何を為ても 何を食べても 何を供え 誰に何を賜っても、またどのような修行 苦行をしても、アルジュナよ 全てはわたしへの捧げものとせよ。


<解 説>

神様を喜ばせるために寺院や教会に行く必要はないし、また供物や布施のために莫大なお真似を費やす必要もない。最高で最善の信仰とは、日常の行為をしている時でも神様のことを念ずることである。
食事をしている時は食物は絶対者ブラーフマンであると思い、食べるという行為も絶対者ブラーフマンへの供物の奉納であると思い、胃の中の消化作用も絶対者ブラーフマンによって行われると考えなければならない。
すべてのものは絶対者ブラーフマンであるという考え方や気持ちは絶対者ブラーフマンとの一体感と呼ばれ、これによって常に絶対者ブラーフマンについて静慮を施す修行が容易にできるようになるのである。
肉体を維持するための基本的行為、例えば食事でも、「私が食べている。私の健康のためである。私が味覚を楽しんでいる」などと自分本位の気持ちで行うならば、束縛を受ける原因になる。
しかし、「絶対者ブラーフマンが食べて下さっている。絶対者ブラーフマンが楽しんで下さっている、絶対者ブラーフマンが胃の中で『消化の火』となって消化を行ってくださるので、この食事は絶対者ブラーフマンへの供物である」という気持ちで絶対者ブラーフマンに食物を捧げるならば、食べるという行為も最高の護摩供養となり、網様への最高の静慮と信仰となり、その思いによってその者はすべての束縛から速やかに解放されるのである。


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