2015年11月、関西医大で腎盂がんで右腎臓で摘出、そして翌2016年4月15日には膀胱がんに転移、がん摘出手術。ところが、再び8月16日、膀胱がん再発、2度目の膀胱手術を受けました。12月、膀胱がんをまたまた発見。小さかったので、カテーテルによるがんの除去できたので、入院をしなくてすみました。
そして、翌年2017年3月には右脳が慢性硬膜下血腫で入院手術。
「任運」「任天」という言葉があります。天は何でも知っている。天は必要だから、私にピッタリのことが、ちょうどよい時にちょうどよいものを与えてくれる。
本当に人生、いつ、何が起こるかわからない。なったらなったときのこと。なるようになる。それが私にとって一番必要でベストだから起こる。寿命もそうです。お任せするしかない。そうした心境です。
今、私には良寛の次の言葉がピッタリです。
「災害にあう時節には、災害にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是はこれ災害をのがるる 妙法にて候」
。
論語に、「死生命あり、富貴天にあり」とあります。人間の生死あるいは富貴貧賤というものは、すべて天が与えるものである、という意味です。
孟子に、
「命に非(あ)らざるなし。その正を順受すべし。この故に命を知る者は、巖牆(がんしょう)の下に立たず」とあります。
※巖牆
危険な場所を喩えた言葉。 巌はそそり立った岩のことで、牆は石や土で築いた細長い塀のこと。 どちらもいつ崩れるかわからないものであるから、その下は危険であるということ。
人間の一生は天が知っている。天命は甘んじて受け入れなければならない。天命を自覚している人間は、崩れ落ちそうな塀の側には近寄らないものである。
病気になって以来、私の命が明日しかないとしたら、私はどうするだろうか? とよく思うようになりました。
もっともっと、一期一会の気持ち、真剣さが持てるのではないか。日々接する方々への思いやりと温もりが持ってるのではないか、とよく思うようになりました。
江戸末期の学者の言葉、佐藤一斎の「春風をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自らをつつしむ」を座右の銘として、日々自己反省をしたいと思ってます。
来る4月29日には91歳の誕生を迎えます。「任運」「任天」とはいうものの、足も不自由になり杖が必要になり、筋力の低下、意欲の欠如で、何をするにも不器用でモタモタする。また、「まあぁ、いいか。面倒だ」という気持ちがつよくなってきました。。
そのような時、何時も中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」の次の言葉を思い出しながら、自分を励ましています。
「太陽が沈んでしまっても、それでもなお夕映えは美しく輝いている。
また、一年が今や暮れようとしているのに、橙(だいだい)や蜜柑(みかん)などの柑橘類は一段と芳しい香りを放ってる。
だから、人生の晩年に当たって、君子たる者は更に精神を百倍にも奮い立たせて
立派に生きる様にすべきである」。
そして、読書だけは時間の限り続けたい。今、谷口雅春氏「真理の吟唱」、バガヴァッド・ギーターを終生の書として、100回は読みたいものだと決意しています。西園寺、林氏の「西郷隆盛」と山岡荘八氏「徳川家康」からも毎日読んで、人物の偉大さに少しでも触れていたいと思っています。
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