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2019年01月29日08:22

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入院中の母にわたしが会わせてもらえない理由 おわりに

T病院に入院している母からのスマホでの連絡が途絶えて4日日目の朝。
テレビではインフルエンザの集団感染により、
80代の高齢者が病院で亡くなったというニュースが流れる。
高齢のうえ心臓と肺、気管支に持病がある母は常々、

 「わたしはインフルエンザにかかったらたぶん最後だから」

と言い非常に用心して生活していた。
しかし、今はT病院の一室でベッドの上で動けず、
歯ブラシを貰うのも大変な生活をしている。
せめて、マスクと除菌シートを差し入れたいと思ってもそれはできない。


着せ替え人形評論家を名乗る前、わたしはずっと政治学の研究をし教壇に立っていた。
非常に青臭い考えではあるが、誤ったことをしていなければ、

 冤罪はいつか必ず晴れる

と信じていたところがある。
だが、現実はそんなに甘くはなかった。
今回、母娘喧嘩のすえ母の腕を振り払おうとして、
運悪く母の手の甲に青アザを作ってしまったのは事実だ。
また、過去に口論の末「お母さんたら嫌ね(バチン)」と肩を軽くどついたことも事実。
だから「虐待」を疑われて警官から事情聴取をうけた際もその点だけは認めたが、
決して「虐待」は認めていないし、「虐待」をした事実もない。


わたしは最初からもっと声高にこの点を主張すべきだったのかも知れない。
しかし、腰椎の圧迫骨折と言われ歩くこともできず、
匍匐前進で1時間ちかくかけてトイレに行き、
故意ではないにせよわたしの迂闊の行動から手まで怪我をして使えなくなった母を、
受け入れる病院がないからと救急車は搬送してくれなかった。
だから、敢えて声高に主張せずに警察から行政の高齢者支援室へ連絡をいれてもらい、
そちら経由で治療を受けさせたいと思ったのだ。
結果、母は整形外科やリハビリ専門の病院に入院できた。
その点は、非常に感謝しているが、
まさか「面会拒否」になり半月以上母の顔を見られなくなるとは夢にも思わなかった。


入院当初、怪我の痛みと初めて使う強い痛み止めの影響、
そして急激な環境の変化からたぶんまともな精神状態ではなかった母が、
わたしには会いたくないから「面会拒否」と言ったと高齢者支援室の担当者から聞いたが、
たぶんそれは事実なのだろう。
なにしろ、母自身最初の4日間はまるで記憶がないと言っていたので。
しかし、混乱状態から脱して「虐待」は誤解だから「面会拒否」はやめて欲しい、
と本人が再三申しいれても未だに「面会拒否」は解除されていない。
わたしのカウンセリングを担当してもらっている精神科医は、

 「被害者が加害者に誘導されてそう言わされていると思われないように」

と注意して下さったが、だったらどう言えば良かったのだろう。


百歩譲って、加害者の疑いがかけられたわたしに面会の権利がなくても、
善意の第三者である母の友人たちまでも面会が断られるとは。
まあ、善意か悪意かなど病院側には分からないから、
疑わしきは全て断っているのだろう。
しかし、雑誌や保湿クリームは差し入れても良いのでは?
もちろん、刑務所のように事前に品物をチェックしてからで良いので。
母が自ら欲しい物を言えば買って貰えるらしいが、
歯ブラシを購入して貰い歯磨きができるようになったのは24日のこと。
ちなみに入院したのは16日だ。
高齢者支援室も病院も、特定の患者一人に割ける時間は限られているので、
買い物を頼んでも買って貰えるまでに時間がかかるのは普通なのかも知れない。
でも、1週間以上まともに歯磨きもできない状態は、
母の心身の健康に決して良いとは言えない。


T病院の事務長代理のから郵便は届くので手紙を書くよう言われたが、
わたしの書いた13枚のハガキは4日前の時点では母に届いていなかった。
母が出したハガキは1枚だけ届いているらしいと、
お見舞いにいらしてくれたご友人から漏れ聞いたが、
わたしには1枚も届いていない。
スマホで連絡がつくようになった時点で、一度試しにハガキを出すよう言ったのだが。


スマホの連絡が途絶えたことをバッテリー切れかと思うと書いたが、
いつも確認しながら通話していたので実はまだバッテリーは残っている可能性が高い。
だったら、何故定時連絡がプツッと途絶えたのだろう。
自治体の高齢支援室は「面会拒否」を解除するよう病院の医師の最終判断を仰ぐと言った。
だから、少なくともわたしが虐待加害者だという誤解は解けつつあり、
母との連絡がとりやすくなるのではと思ったが、
逆にこっそりスマホで連絡をとっていることがバレて、
母はスマホを取り上げられたのだろうか?
それとも、母にスマホで連絡できない何かが起こったのだろうか。


どうしてこんな事になったのだろうと考えていたら、
13日にわたしに虐待加害者だと反省文を書くよう言った警官の言葉がよぎった。

 どんな状況でも「暴力」はいけないんだよ

その時はわざと叩いたわけでもないのにと内心反発していたが、
今になって思えば全くその通りだと思い。
あの時、痛くても母の腕が当たるのを我慢すればこんな事にはならなかった。
身体は弱いが精神的には強靱な母は、12日の夜には未だ、

 「早く治して今年は貴女とイタリアに行きたいわ」

と言っていた。たぶん、保護される以前の母なら怪我が治れば可能だっただろう。
だが、今はもうできなくなっているのかも知れない。
もしそうであれば、その責任は靴べらを手にしたわたしにある。
だからこそ、わたしは母の「面会拒否」が解除される日まで日々戦い続ける。
たとえそれで自身が犠牲になったとしても、「加害者」の責任は全うするつもりだ。
もちろん、責任だけではなく根底にあるのはたった一人の身寄りである母への愛情だ。


今日もこれから弁護士会館へ相談に出かける。
母と交わした最後の言葉はこうだった。

 「お休みなさい、愛しているわ」

日本の家庭では一般的あまり言わない言葉かも知りないが、
たいら家では亡父、母、わたしの間ではよく使っている言葉だ。

 「もちろん、わたしも愛しているわ。お休みなさい」

スマホの録音に残っていた母の言葉を、
容量オーバーになるからと消去してしまったことを今とても後悔している、
わたしは母の口からまた同じ言葉を聞ける日が来るのだろうか。
いや、来ると信じて戦うしかないのだ。
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