神渡良平・小林正観「神さまが教えてくれた幸福論」(致知出版社)からです。
神渡良平氏は38歳の時、脳梗塞で倒れました。その当時のことを次のように語っておられます。
しばらくは落ち込みました。なぜ自分がって・・・・・。これまでまじめにやってきたじゃないかって、ずいぶん悩み、苦しみました。
しかし、その中で私は陽明学者の安岡正篤先生や中村天風先生など、いろいろな方の言葉によって目が開かれて行ったんです。
中でも、あの逆境を乗り越える大きな力になったのが、「論語」の一節でした。
孔子のお弟子さんだった冉求(ぜんきゅう)に、「伺候(貴人に仕えること)しませんか」と口がかかりました。けれども冉求は、私は自信がありませんと断りました。それを聞いた孔子が、冉求を諭(さと)します。
「人間は、宇宙の根源である天(大いなる存在)が結晶化して地に現れたものだ。
天は一人ひとりの持っている持ち味を通してなにがしかの理想を成就しようとされている。
もし、おまえが、私ダメです、自信がありませんと逃げてしまったら、天にチャンスを与えないことになってしまいやしないか」
その諭しに奮起した冉求は、ついに「論語」に名前が記されるほどの存在になりました。
その話を読んだとき、孔子が冉求を諭す言葉が、自分に向けられるように感じたのです。
そして、天罰として脳梗塞になったのではない。こういう状態に追い込まれなければ目が覚めないから、あえてそうしてくださったんだ。
天はここで私を磨いて、私にしかできない仕事をさせようとしてくださっているんだと思えるようになりました。
そのとき初めて、それまで恨んだり悔やんだりの世界から抜け出して、この逆境を前向きに捉えようという気持ちに切り替わり、新たな道が拓けていきました。
また、安岡先生の本に出合ったとき、つくづく思ったのは、それまでの私は単なる立身出世主義だったということでした。人と自分を見比べ、上を上を上をと、上ばっかり見ていました。よく言えば上昇志向、悪く言えば、ただの立身出世主義。
それに対して安岡先生はこう諭されました。
「そうじゃない。足下だよ。一隅を照らすところから始まるんだよ。一歩一歩だよ」
だから非常に驚きました。ほぉう、今までの私の価値観と全然逆だなと。それで自分の脚がやっと大地に着きました。
また、脳梗塞をやって寝たきりになり、自分を卑下して苦しんでいるとき、安岡先生は人間存在の本質をこう説いて励まして下さいました。
孔子の言われるように、人間は宇宙の本質である無限が有限化し、地上に結晶化した存在だ。
その人間は努力して自分を無限なる存在にまで高めていかなければならない。人それぞれに人生という時間が与えられているのはその意味だ。人間は起きて半畳、寝て一畳の
ちっぽけな存在ではない」
それが私にとっての出発点になりました。
小林正観さんは、神渡さんとの対談の中で、次のように答えていました。
「神渡さんが安岡先生の本に出合うのも、孔子の本に出合うのも、神渡さんのために書かれたシナリオだと思います。ちゃんとそれに出合うようになっていた。病気になっていなければそれに出合っていないでしょうし、出合ってもおそらく理解できなかったでしょう」
人生に何が起ころうと、慌てふためくことはない。どんなことも大切な気づきをもたらしてくれる体験であり、その導きに従っていけば幸せにつながっていけると思うべきなんです。
・・・・以上。
ログインしてコメントを確認・投稿する