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2017年12月23日22:37

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『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』全曲(エマール)

【プログラム】
 メシアン:「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」(全曲)

  第1曲  〜 第10曲
   *** 休 憩 ***
  第11曲 〜 第20曲

 2017年12月6日(木),19:00開演,東京オペラシティ コンサートホール


ピエール=ローラン・エマールが弾くメシアンの超大作「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」の全曲演奏を聴いてきた。

演奏会が終わったのが21時40分過ぎ。休憩時間などを除いても,優に2時間を超える巨大な作品。さらに,この作品のスケールの大きさは演奏時間にとどまらない。ピアノ1台による演奏とは信じられないくらい圧倒的な響きを持つ作品でもある。その音量はときに4管編成のオーケストラにも匹敵する。さすが「アッシジの聖フランチェスコ」を書いた作曲家の作品である。

エマールのピアノは,この作品の壮大な響きを完璧に表現していた。しかも,最後まで同じ力強さで引き切るという離れ業に近いことを成し遂げる集中力とスタミナには脱帽する。ホールを揺るがすような大音量や猛然としたスピードだけでなく,響きの隅々までコントロールするテクニックや,この作品と作曲家への没我的な感情移入も尋常ではない。この日,ホールでエマールの演奏を聴いた人たちは,この切迫感,緊迫感や重圧感の威圧されたに違いない。そして,これこそがメシアンが意図したことであり,エマールが聴衆に伝えたかったことかもしれないと思う。この作品のねらいが,神の偉大さ,人間を圧倒し尽くすその存在感を描くことにあるとすればだが。

そのことを除くと,このリサイタルを聴いて理解できたことはごく限られる。感覚的には,理解できたと感じたのは,作品の3分の1くらいだろうか。エマール自身が録音したこの曲の全曲盤を買い足して,それを数え切れないほど繰り返し聴いたのに。ただ,エマールによる生の演奏を聴いて,この作品を構成するいくつかの要素が描き分けられていることはわかった。愛情に満ちたまなざしを向けられるイエス,幼子に優しいまなざしをそそぐいくつかの主体,幼子イエスを脅かすかのような存在。そして,イエスとそれを庇護する側およびそれらを脅威に曝そうとする側との相克が描かれているようでもある。

だが,それ以上のこと,つまり,この音楽は果たして美しいのか,20世紀という時代を背景に創作される必然性を有しているのか,こうした点は依然として謎のままだ。もちろんメシアンならではの美しさが輝くフレーズは随所に散りばめられている。しかし,ひとことで言うと,つかみどころのない現代音楽である。その理由の一端は,シェーンベルク,ストラヴィンスキー,バルトークの作品のように,それまでの音楽が内包するテクニカルな課題への回答という側面が乏しいことにあるようだ。リズム,メロディー,ハーモニーに何かを付け加えた訳でもなければ,革新を行った訳でもない。反対に,メシアンのこの作品は,現代音楽にしては伝統的な和音の使用がやたらに多いように感じる。おそらく,どこかにメシアンの革新性があるのだろうが。

「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」全曲演奏会に関しては,ほぼ完敗に近い挫折だったように思う。これまで,CDを聴いて準備すれば演奏曲目は理解できる。準備段階で完全に分からなかったとしても,ステージを聴けば多くのものを得ることができると信じてきた。だが,今回だけはやや勝手が違ったようだ。分からないことが多過ぎる。そもそも,このリサイタルを聴いて分かったと思ったことがこの作品の全てなのか,この作品へのアプローチを変えれば新しいピアニズムが浮かび上がってくるのか,それとも真剣に相手にするに値しない作品なのか,今の時点では皆目見当がつかない。

これまで,メシアンの作品は「世の終わりにための四重奏曲」,「トゥーランガリラ交響曲」,「アッシジの聖フランチェスコ」,「鳥のカタログ」,「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」を聴いた。だが,「世の終わりのための四重奏曲」を除くと,メシアンの音楽との相性が抜群とは言えそうもない。自分とは無縁の作曲家と切り捨てるわけにもいかず,かといってメシアンの偉大さが分かるわけでもない。まあ,急いで答えを出すこともないだろう。来年の春には,エマールの新録音「鳥のカタログ」がリリースされるらしいので,次はこれに挑戦してみるか。

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