【プログラム】
チャイコフスキー
1 交響曲 第4番 へ短調 op.36
*** 休 憩 ***
2 交響曲 第5番 ホ短調 op.64
*** 休 憩 ***
3 交響曲 第6番 ロ短調 op.74《悲愴》
ロシア国立交響楽団
ヴァレリー・ポリャンスキー(指揮)
2017年11月10日(金),18:30開演,札幌コンサートホール
この演奏会が開催されることを新聞広告で知ったとき,ロシア国立交響楽団ってどんなオーケストラなんだと思った。また,チャイコフスキーの交響曲の第4番から第6番まで3曲を一気に演奏する趣向もどうなのかと。さらに,ポリャンスキーなる指揮者も寡聞にして知らない。正体不明のオーケストラが人気作品をまとめて取り上げる大盤振る舞いをして,遮二無二お客を集める魂胆なのかとも考えた。
この印象が一気に変わったのは,ロシア交響楽団の旧称がソビエト国立文化省管弦楽団だとわかったとき。ゲルギエフ&マリインスキーを別にすると,ロシアのオーケストラをしばらく聴いていない。そこで,チャイコフスキーは好みではないが,興味本位で出かけることにした。
久しぶりにロシアの豪快なオーケストラを聴いた,という気持ちになった。ダイナミックでありながら,デリカシーも備えている。繊細な面があるからこそ,豪快さも引き立つというべきか。感心したことの1つは,フォルティシモのトゥッティになっても音は濁らない。歪みのないサウンドでスケールの大きな音楽をやすやすと演奏してみせる。音楽的なエネルギーをスケール感で表現できるオーケストラは貴重だ。
さらに,チャイコフスキーの作品を演奏しているにもかかわらず,感傷的な表現とは距離を置いている。驚くほどザッハリヒな演奏でありながら,無味乾燥なところは少なく,味わい深さも兼ね備えた演奏である。例えば,交響曲第5番の第2楽章アンダンテ・カンタービレ。十分に歌わせているものの,情緒的になりすぎることはない。作品を客観視できる距離を保ちながらも,作品自体に語らせることでその美しさを表現する。第6番「悲愴」の第4楽章アダージョも,”lamentoso”の指定どおりの悲しい表情ではあるけれど,絶望の淵に沈むというより,悲嘆そのものを静かに眺めているような風情を感じさせる。過度な感情移入は排除され,作品をのものを表現しようとする強い意思を感じさせる演奏である。作品そのものに内在する美しさが最大限に引き出された演奏だと言い換えることもできる。
チャイコフスキーの音楽の襞まで感じ取ることができるロシアの演奏家の集団であっても,ずば抜けた演奏技術なしには,作品そのものへ肉薄するような表現は難しいだろう。交響曲第4番の最初の音を聴いた時から,直感的にこのオーケストラは巧いと感じた。アンサンブルがどうとかの表面的な演奏技術のレベルではなく,音楽を知り尽くす抜きん出た才能が結集したオーケストラである。まだまだ磨けば光る,そして本気を出せば途轍もない演奏をやりかねない団体なのでは。おそらく,ロシアには掃いて捨てるほどの才能が埋もれているのだろうし,そういう才能を発掘して育て上げるシステムもしっかりと根付いているのではないだろうか。
ロシア国立交響楽団の演奏を聴いていて,絶頂期のシカゴ交響楽団はかくありやと思った。繊細で精緻な面があるにしても,やや大味になりがちなところも含めて,アメリカのヴィルトゥオーゾ集団を彷彿とさせるところがある。
そういえば,指揮者のポリャンスキーはどこかバレンボイムを彷彿とさせる風貌の持ち主だ。バレンボイムほど粘着質の表現ではなく,それよりもっとあっさりした表現が身上ではあるが。音楽そのものをよくわかった,そしてそれをオケに伝えて表現することが巧みな指揮者のように思う。もちろん,一度聴いただけで即断できないが。
夕方の6時30分に始まり,20分の休憩を2度挟んで,終演は9時40分を過ぎていた。3時間を超す長丁場にもかかわらず,音量で誤魔化さない,スケールの大きな音楽,音楽の持つ巨大なエネルギーを堪能できた。真の意味で巧いオーケストラを聴いて爽快な気持ちになった。
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