mixiユーザー(id:7846239)

2017年11月04日23:20

773 view

札幌交響楽団 第604回定期演奏会

【プログラム】
1 スメタナ: 歌劇「売られた花嫁」序曲
2 ドヴォルジャーク: チェコ組曲 ニ長調 op.39 B.93
     *****休憩*****
3 リムスキー=コルサコフ: 交響組曲「シェエラザード」op.35

(ロビーコンサート)
 イーヴォ・ブラーハ:VIVAT〜4本のホルンとチューバのための〜
 カール・シュティーグラー:”聖ユーベルのミサ曲”より「キリエ,グローリア,サンクトゥス,アニュス・デイ,終曲(聖ユーベルのファンファーレ)」

札幌交響楽団
ラドミル・エリシュカ(指揮)

2017年10月28日(土),14:00開演,札幌コンサートホール


10月の定期演奏会は,夜公演(金曜日)も昼公演(土曜日)も満席に近い入りだったようだ。ラドミル・エリシュカが日本で振る最後の演奏会となったためだ。そのことが呼び水となって,地元はもちろんのこと全国各地からマエストロの熱狂的なファンが馳せ参じた。今年3月に札響との定期などを終え,帰国後に不調を訴え医師の診察を受けたところ,身体への負担が大きい長旅を伴う日本行きにドクター・ストップがかかった。しかし,日本の聴衆へ別れの挨拶をしなければならないと,医師の制止を振り切って来日を強行したことが,多くの人にアピールしたのだろう。

そのような次第で,今回の来日で指揮した大フィルと札響の定期は,一部のファンの間で大騒ぎになった。たしかに,今後もエリシュカが振る札響の演奏を聴き続けたいという点では人後に落ちるものではないが,悲嘆と絶賛が入り混じった騒ぎを耳にするにつけ,少なからず違和感を覚える。生来の天邪鬼でへそ曲がりな性格のせいであることは自覚しているつもりだが,もしマエストロに感謝する気持ちがあるならば,それを前向きに生かすのが音楽ファンというものだろう,などと口幅ったい苦言を呈したくもなる。

閑話休題。とはいえ,聴衆以上に畏敬や感謝の念を抱いていたのは,オーケストラのメンバーだったかもしれない。そうのようなことを思わせる演奏だった。札響は北欧のオーケストラを思わせる冷涼で淡白なサウンドが特徴である。だが,この日はチェコ・フィルを彷彿とさせる磨き抜かれた温かみのある濃厚な響きだった。艶やかで厚みのある弦の響きに加え,管楽器もソロが冴えわたり,合奏でも巧さが際立つ。メンバー全員がエリシュカの思いに応えるべく,全力でマエストロの望む音で演奏しようとしているかのようだった。さすがプロフェッショナル,札響がここまでできるとは想像だにしなかった。テクニックを超えた熱い想いの賜物だろう。

歌劇「売られた花嫁」の序曲は,細部まで克明に描こうとし過ぎたためか,テンポがやや遅くなってしまい,この曲を聴くときの醍醐味であるスリル感が半減してしまった。安全運転気味であり,荒々しく駆け抜けて行くような疾走感に乏しいのは惜しまれるが,音のクォリテーが普段とは全然違う。磨き上げられた琥珀のような音色を耳にして,何か特別なことが起こっていることを知る。

ドヴォルジャークの「チェコ組曲」は初めて聴く作品であるが,作曲者の見過ごされがちな面に光を当てたような秀演である。「弦楽セレナード」や「スラヴ舞曲集 第1集」などを書き上げた後の作品で,両作品と比べるとやや室内楽的な趣が強いような印象の曲である。全5曲で構成される楽曲で,のどかで田園風の「前奏曲」,叙情的だが明るいトリオを持つ「ポルカ」,ボヘミア風の舞曲で始まる「メヌエット」,フルートの美しい主題で始まり夜想曲へと変わる「ロマンツァ」,チェコの民族舞曲のリズムで高揚する「フィナーレ」。編成がやや小振りな分,各セクションやソロの水準の高さが手に取るように分かるとともに,琥珀のようなチェコ風の響きに一層磨きがかかる。

交響組曲「シェエラザード」は,エリシュカのたっての希望により,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」から急遽差し替えられた作品。どのような経緯で変更になったのかその詳細は公表されていないが,エリシュカが札響の定期に初登場した際に振った作品の一つが「シェエラザード」だ。「シェエラザード」で始まり「シェエラザード」で締めくくりたかったのか,それとも他の意味もあるのかは不明。この日ホールで聴いていて,考えていた以上にヴァイオリンや管楽器のソロが多く,マエストロの札響に対する深謝の念を表明する意図が,この曲目変更に込められていたようにも感じた。この曲では,オーケストラの編成が大きくなった分チェコ・フィルのようなサウンドは心持ち希薄になったようだが,札響の各パートの首席の腕が冴えわたった。日頃,不満を感じることもある管楽器と弦楽器の一体感は不満の余地がないほど。また,各パートの首席による独奏も,オーケストラとの統一感を保ちつつ,必要にして十分なだけ独奏を際立たせるという絶妙なバランスを維持した上で,変幻自在のソロを繰り広げていた。とりわけ,ヴァイオリン独奏を務めたコンサートマスターの田島高宏の渾身の演奏は強烈な印象を残す。ソロの旋律と一体となったかのような独奏は,まるで神憑りとでも言うほかない。

ただし,これまで何度か聴いたエリシュカ&札響の演奏の中で,飛び抜けた出来栄えという訳でもなかった。指揮者にとってもオーケストラにとっても渾身の演奏だったことは間違いないが,より感銘深い演奏を聴いた記憶がある。

ところで,エリシュカ&札響の最後は是非ともベートーヴェンの交響曲第3番で締め括って欲しかった。ベートーヴェンの交響曲は,これまで札響との演奏会では取り上げられていないようだし,そもそも「シェエラザード」と「エロイカ」では音楽作品としての水準が決定的に違う(と思う)。片や色彩豊かな標題音楽であり,片やソナタ形式で書かれた傑作中の傑作である。この王道中の王道ともいうべき作品でマエストロの手腕が存分に発揮されたとしたなら,どのようなベートーヴェンになったのだろうか。その感銘は「シェエラザード」の比ではないはず。

おそらく,ラドミル・エリシュカは比較的不遇なキャリアを歩んだ指揮者なのではないか。チェコを除くとヨーロッパでも人気や名声の点で無名に近いのでは。もし,その通りだとすると,マエストロのステージを聴く限り,どのような事情があったにせよ,不当と言ってもいいくらいの評価だと思う。それゆえ,自分の芸術を正当に評価する日本の聴衆へ直接お別れの挨拶をするために,ドクター・ストップを振り切って来日したのではないか。たしかに,紡ぎ出す音楽のスタイルは時代の先端をゆくものではない。古き良き時代の中欧や東欧の正統的な演奏そのものだ。時代遅れという評価もありうるだろうが,それ以上に時代に取り残された演奏であるとしても,音楽の核心に直接切り込むような普遍性を有する演奏を本領とする音楽家だろう。

失ったものが大きいとしても,エリシュカが残した遺産を活かすことを本気で考えるべきだろう。それはオーケストラのみならず,音楽愛好家ひとり一人に課された宿題でもある。悲歎にくれてばかりいないで,まずは前を向くことだろう。
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年11月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930