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2017年10月13日13:13

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今年は日本人受賞者がいなかったから


 何か、差し替え記事、みたいなものなのでしょうか?

 そもそも、日本人受賞がいる、とかいないとかが実にくだらない話だと思うのは私ばかりではあるまい。と感じるのだが、、、、

 私も子どものころは、国語も英語も苦手でした。

 国語に関しては、「漢字」を覚える意味がわからず、小学校2年生からほぼ放置状態。
 3年生からは0点をどのぐらい続けられるか、というどうでもよい記録に臨んでいた。

 英語も、最初に学習したころは、

 アップル という英単語に対して、

 ア  「り」
 プ  「ん」
 ル  「ご」

 という対応は理解できるのだが、
 そうすると、アントと「あり」の対応関係が理解できない。
 ア  「あ?」
 ト  「り」

 いやいや、「ア」が「り」だったはず。
 この辺で、英語にはさじを投げざるを得ず、中学の時は英語の成績を上げることはほぼできないまま、高校でもずっと低迷、、、、、


 ドイツ語の試験、白紙で出したのは、京都大学の大学院を飛び級で受験した時。
 当たり前だが、「白紙では採点できないので」という理由で落とされました。


 そういう意味では、将来ノーベル賞を受賞できるぐらいの階段を順調にのぼっていたはずなんだけどなあ、、、ポスドクから上に上がることができず、身体は壊れて働くことも出来なくなる、という顛末。

 同じような人は、かなりいると思います。

 日本人がノーベル賞を受賞できない、とか言うのは、そもそもそういう可能性のある人材を切り捨てる国家体制になっているからでしょう。当たり前だと感じる。
 仮に大学に籍を残せたとしても、毎年何本も論文を書かなければならないノルマは、その仕事に忙殺される結果になり、自由に色々なことを考える時間、なんて容易には得られない。

 論文を書くだけなら、実験を多数やる、データを取得する、それをまとめる、で何とかなるから、そういう人が実際に大学のポストに残っていて、好きなように考えるタイプの人はほとんど残せないことになる。

 別にノーベル賞が人生のゴールでもなんでもないし、大学に籍が無くても、近年は様々な情報を家に居ながらにして読みに行くことが出来るようになったから、好きなことを好きなだけできる、という人生に不満があるわけではないが、引用したような記事がこんなタイミングで掲載されるのは、如何に多くの人が日本人のノーベル賞受賞を望んでいて、そしてそうならなかったら「悲しむ」あるいは、「ノーベル賞の事なんか忘れてしまう」という実態は、かなり寂しく感じる。

 KEKでCP対称性の非保存の実験をしていた時、「今KEKに必要なのはノーベル賞」だと言われていたものだが、ノーベル賞を受賞できることは分かっていた。(自分が実験していればそれは確信的にわかるもの)
 分からないのは、いつ受賞できるか、だけであって、それが2008年だった。というだけだろう。
 Bファクトリーは、画期的な発想から、実験的にCP対称性の非保存を証明できたわけだが、そのことを経ても、現時点において、スーパーKEKBという路線にしか進めていないのはやや残念だとも思う。
 私はどっちかと言うと、加速器を使った実験よりも、宇宙から飛来する宇宙線を調べる方が面白いだろうと思っていた。でも、そういう発想は路線が違うし、大きな予算は取れない。勢い、予算が取れなければ今仕事をしている人たちは飯を食いはぐれる。
 特に、ARES空洞、がそういうものの象徴だったと感じる。既にスーパーの空洞が実用化されていてもノーマル空洞で飯を食っている人、のためにその技術を残して実際に使い続けるのは、若干進歩を遅らせているように感ずる。

 それでも益川先生のラッキーだと思える点は、名古屋大学に行けたことだと思う。
 私は名古屋大学の入試では、コンビネーションの計算についての説明を求められ(できなかった)、「大学に入ったら素粒子をやりたい」、と言ったら、

 「素粒子をやりたいんだったら、計算ができないとダメだね」と笑われた。
 (そして、試験は落とされた。)


 大学でも、大学院でもおおよそ宇宙線とも素粒子とも無関係な路線で進んだ。まあ素粒子に若干近いといえるのは、大学院で「中性子」を使っていた辺りかもしれない。
 小学校の時に漢字が、中学では、英語が、一体なののために学習するのか分からなかったとよろしく、大学でも大学院でも「固体物理」を一体何のためにやっているのか分からなかった。
 人生って、そういうものなのではないか、と思う。
 いくつになっても、なんのためにやっているのか良く分からない物事というのはある。それは後々になってわかってくるものではないのか?
 
 いや、そもそも天才、と呼ばれる人たちは、そういうことが瞬時にわかるものなのだろうか?

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■「宿題は信念を持ってやらなかった」ノーベル賞受賞の益川教授の幼少期
(AERA dot. - 10月13日 11:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4810609

 ノーベル賞受賞者といえば世界の頭脳。だが、子ども時代はオール100点とはいかなかったようだ。

「CP対称性の破れ」を理論的に説明する「小林・益川理論」で2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大学教授。英語が基本のノーベル賞受賞記念スピーチを日本語で行ったことでも有名だが、子どものころから国語や英語は苦手だったという。

*  *  *
 子どものころは勉強はしなかったね。だって、遊んでいるほうが面白いじゃない(笑)。宿題は信念を持ってやらなかった。一度、母が学校に「ちゃんと息子に宿題を出してください」と言いに行ったことがあって、先生に「毎日出していますが、敏英くんがやってこないだけ」と言われてばれた(笑)。怒られたけど、廊下に立たされるくらいたいしたことないよ。

 数学や物理、化学は原理さえ覚えれば解けるから得意。でも国語や英語は見事に0点。国語は漢字を覚えないといけないでしょう。繰り返し書いて覚えるのが苦手だった。英語は、母親の音痴が遺伝したらしく、人の発音を聞いてまねできない。中学1年の時、教科書の音読で「マネー」を「モーネー」と読んでしまったら、先生やクラスメートが大笑い。それ以来「英語は性に合わん」と捨てたんだ。

 科学に興味を持ち始めたのは子どものころ。銭湯の帰り道、父が「月食はなぜ毎月起こらないか分かるか」と知識を披露してくる。電気技師になりたかったらしく、科学の知識があった。教育ではなく、ただ子ども相手に自慢したかったんだな。

 実家は砂糖屋で両親ともに商売で忙しかったから、子どもがどうしているかなんて細かく見てない。でも、机の上にポンッと、読めとも言わずに子ども向けの科学雑誌が置いてあることがあった。本は子どものころから大好きで、誰より先に本が読めるからと立候補して図書委員になった。高校生から古本屋をめぐり、数学の専門書を買ったりしていたよ。当時の日本は数学の導入期だったから「この学問がなぜ必要か」というところから書いてあって面白かった。

 高校1年生の9月に、大事件が起こる。名古屋大学の坂田昌一教授が素粒子のクォークモデルの前身となる「坂田モデル」を発表した。自分の町で起きた大発見に興奮して「ぜひ見学させてもらいたい。名古屋大に行きたい」と奮い立った。

 父は「家業を継げ」と圧力をかけてきたけれど継ぎたくなくて、食事時はけんか。母親が間に入ってくれて一度だけ受験を許してくれた。さて、どうやって受かるかと考えた時に、英語を捨てて他で90%近く取ればいいじゃないか、と。物理や数学の勉強は面白いから、自分にとっては遊びみたいなもの。予想通りの点は取りました。作戦勝ちだね。試験問題も記述式が多かったのが自分に合っていた。

 英語? さすがに記述問題はちょっと書いた(笑)。ただ、大学に入ってからもドイツ語の試験は全部白紙。大学受験は総合点だからよかったけど、大学院に上がる時はさすがに「こんな学生を通していいのか」と議論があったらしい。擁護してくれた先生がいて助かった。

 高校のころから人と議論をするのも好きだった。ディベートの授業で一度、本音とは違う意見で議論させられて負けたことがあって。絶対に勝てる方法を研究してからは、議論すれば必ず勝ったよ。相手を言い負かした後に「君のほうが正しかったんだけど、ここの主張を間違ったんだよ」と種明かしする。相手は怒ったねぇ(笑)。(構成 編集部・市岡ひかり)

※AERA 2017年10月16日号より抜粋
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