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2017年09月22日09:27

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魂との対話3

3. 宇宙は知的で思いやりに満ちている
私たちのより深い理解、内なる理解は、別の種類のパワー、すなわち、この世に存在するいかなる形の生命をも愛するパワー、自分が出会ういかなる人間をも裁かないパワー、そして、どんなに小さな生命あるいは物事のなかにも意義と目的を見いだすパワーへと、私たちを導いていく。 これが真のパワーである。

私たち人類はいま、外側のパワーを追求する種から、真のパワーを追求する種へと進化しつつある。

私たちは五感型人間から多感覚型人間へと進化しつつある。私たちの五感は、一体となってひとつの知覚システムを形成し、物理的現実を認識するようにつくられているが、多感覚型人の知覚は、その物理的現実の先まで広がっている。

多感覚型人間は五感型人間には見ることのできない領域内(不可視の領域内)にもっとも根源的な価値観の源が存在することを知っている。不可視の領域の観点から見ると、崇高な目的のためにみずからの命を犠牲にした人たちの動機が、手に取るほどわかるようになる。たとえば、ガンジーのパワーがわかり、キリストの思いやりに満ちた行動を完全に理解できるようになる。過去に生きた、あるいはいまを生きている偉大な教師たちのすべてが、多感覚型人間である。

五感型人間の認識すると、私たちは、この物理的で無機質な宇宙の中で生きている、孤独な存在である。しかし、多感覚型人間の認識からすると、私たちはけっして孤独ではない。宇宙は生きていて、意識があり、知的であり、思いやりに満ちてさえいる。

五感型人間の認識からすると、この物理的な世界は偶然にもたらされたもので、私たちはその中に偶然に生まれ、そこを支配することで生存を果たそうとしている。しかし、多感覚型人間の認識からすると、この物理的な世界は、それを共有する魂たちが共同で創造した学習のための環境であり、そのなかで発生することのすべてが、彼らの学習に役に立つ。

五感型人間の認識からすると、意図にはいかなる結果もともなわない。そして、行動の結果は物理的であり、すべての行動が私たち、あるいはほかの人たちに、必ずしも影響を及ぼすわけではない。しかし、多感覚型人間の認識からすると、行動の背後にある意図が、行動の結果を決定し、すべての意図が、私たちやほかの人たちの双方に影響を及ぼし、その影響は物理的な世界をはるかに超えたところにまで殺到する。

不可視の領域が存在し、その中には、私たちのより深い理解の源がある、と述べることにどんな意味があるのだろうか? 五感によっては感知不可能だが、人間のもつほかの能力によっては知られ、探検され、理解されうる領域の存在を考慮することに、どんな意味があるのだろうか?
 
通常の知覚領域のなかでは、回答が不可能な疑問がもち上がったとき、その疑問は一般にバカげた疑問として一笑にふされるか、不適切な疑問として却下される傾向にある。しかしながら、もし私たちが、自分の意識をその疑問への答えを発見できる知覚領域まで拡大できたならば、話は別である。

私たち人類は、あえて言葉にして表現するならば、「神は存在するのだろうか?」「神の叡智なるものは存在するのだろうか」あるいは「生命に目的があるのだろうか?」といった疑問を太古から持ちつづけてきた。そして今や、これらの疑問への答えを発見できる知覚領域のなかへと、自分たちを拡大すべきときを迎えている。


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