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2017年09月02日20:58

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曽野綾子「老いとくれない族」


以下、曽野綾子のお話の要旨。

「老い」を見つめて
私は80歳を超え今は気楽にしています。50歳の時に、視力を失いかけて、小説家をやめようと思ったこともありました。でも名医に巡り合い、視力を取り戻し生きていきています。

それから、64歳と74歳のときに、二度にわたって足首だけ片方ずつ骨折しましたが、この時もうまく治りました。これは私の性格もあって、あまり安易な療養生活をしなかったことがよかった王です。面白いことに、足を骨折したときは足を使わないとだめなのだそうです。

高齢になって骨折すると、怖くて歩かなくなる人が多いそうですが、私の場合、料理が好きですから、帰るとすぐに台所に立つことになります。歩くたびにすごく足が晴れまして、家の者が、「もう少し、穏やかに寝てたほうがいいのでは?」ということもありました。

いろいろ自分の身体に文句はあるのですが、愚痴は言えません。私はそういうときには、、よく古い自動車とか冷蔵庫を想像するんです。80年たった自動車、これはあるようです。古い愛好者がいらっしゃるようで、そういう車が今も動いている。同じように、もし80年経った冷蔵庫が今も動いて、扉がきちんと閉まり、中の物が詰めたくなるというのであれば、、それはたいしたものです。私も80年間、普通の生活をさせていただいてきていることに感謝しています。

「くれない」が老化のはじまり
「老いる」というのは、自分だけ運が悪く雷に打たれるようなものではなく、皆に平等に訪れるものです。この頃の方はすごく見かけを気にされて、実年齢より30歳若く見える方法とか、そういうことに一生懸命です。それもいいのですが、精神が生き生きと満ち足りて、若さを保つということとはどういうことだろうと、私は昔から考えていました。

例えばクラス会などに行くと、白髪を染めている方は若く見えます。でも、きれいな白髪をそのまま生かしているという、らやましい美人もいるのです。それを見ると若さは外見ではない。そして私は、何か他に目安はないかと考えた結果、他人に依存する度合いによって老化を図ることができると気づきました。

クラス会の会話など聞いていると、“誰々が何々をしてくれない”ということを言っている人がかなりいます。「うちの娘なんか茶碗も洗ってくれない」と、まあこの程度は、温かい家族の悪口なのでいいのですが、最近では、「政府が何もしてくれない」という人もいます。

「くれない」という言葉を頻発する人は、老化が始まっているわけです。私たちは、何か困ったことがあれば人に助けてもらいますし、そのことは忘れてはいけないと思います。しかし、自分を救うためには、自分でなんとかするという意気込みがなければならないと思うのです。

「くれない族」のお年寄りは結構多いと思います。仮に、もし政府が国民全員に月に百万円お小遣いをくれるとしたらどうでしょう。最初の月はすごく幸せだけれども。翌月になるともう、「あの人がワニ革のバッグを買ったのは、政府からの百万円のほかに息子から五十万円もらっているという話よ」なんてということになるわけです。

「受ける」ということは、永遠に足りないという連鎖反応を起こします。ところが、「与える」は逆です。例えば親を亡くした子どもに毎月少しずつでも寄付していると、「与えさせていただいた」という感覚で限りなく心が満たされるのです。この心理的なからくりを、今の人はあまり自覚していないのかなと思います。

聖書の中に、「受けるより与える方が幸せである」という言葉があります。これは戦後の教育には、まったくなかった要素です。人権とは要求して手に入れるものであるけれど、与えるものでもある。空気を吸っては吐く、食事を食べては排泄する。すべて同じことではないでしょうか。取り込むばかりではだめだということをきちんとお教えていないように思います。

私は何度か聖書の勉強にイスラエルに行きました。北のほうにガリラヤ湖というのがあり、ヘルモン山という山から雪解け水が流れてきます。その水がヨルダン川になって、やがて死海という湖にたどり着きます。死海はすり鉢状の湖で、出口がないんです。どんどん水が蒸発し、濃縮した塩分が残ります。ガリラヤ湖、ヨルダン川、死海というのは、私たちの人生の精神のひとつの形を表しているのです。

水を取り込むばかりの死海は魚一匹住むことなく、死海の周囲には緑の木も生えていません。ところがヨルダン川とガリラヤ湖は多くの水を周辺の畑に与えている。多くの水を与えているところには緑という恩恵を受ける。しかし、奪い取ろうとしている者には、何も報償がない。このことから転じて、なんでも世間、政府が保障してやってくれればいいと思っている成人、ことに老年。もらうことばかり要求している者が、そこから緑の沃野(よくや)を得るということは無理なのです。それを私は、イスラエルの光景から学びました。



★曽野綾子
1931年(昭和6年)生まれ。作家。日本芸術院賞・恩賜賞。文化功労章、菊池寛賞など多数授与。。


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