最近のお気に入り料理が、「もやし焼きうどん」、だった。
作り方
ちくわ二本を輪切りにする。
フライパンに油を多めに敷いて、ちくわを炒める。
ちくわに焼き色が付くぐらい良く炒めた後、もやし1パックを入れる。
全体に火が通るまで炒める。
うどんを1人前入れて、ポットのお湯を少し入れる。火に掛けたままうどんをほぐしていく。塩とコショウで味を調える。水分がなくなったら、少し強めの火にして、全体をざっくり炒めて出来上がり。
こんなものだった、ちくわは4本入りで100円ぐらい。もやしは40円ぐらい、うどんは50円ぐらいで売っているので、1人前140円ぐらいで作れる感じ。
割と簡単に作れて、お金も掛からないメニューなので、おなかが空いたときにちょっと作って食べるのに向いている。
だった、が
今日のお昼に作ってみようと思った。1人前の材料が残っていたはず。
ちくわを袋から出すと、「ベとっ」としている。変なにおいもする。賞味期限は8月11日と、、、、、
傷んでいる。
うどんは、袋に入ったまま、なかでカビが増えている。
でも、もやしは食べられるだろう、と思って、炒めて味付けまでした。
お皿に盛ったら、まあいい感じなのである。野菜だし、少々古くても大丈夫。
と、考えたが、一口食べて、何回か口の中で噛んでみると
酸っぱい。
傷んでいる。一度口の中に入れたものも吐き出して、水で口をゆすぐ。
確かに二週間以上前の食材ではあるが、冷蔵庫に入れていたのに、、、こんなことってあるのかな。まあ、実際そうなったんだからあるんだね。夏場は何でも早く食べないとダメです。
てなわけで、これでマイブームが終わるのか?
引用の記事はいたたまれない出来事だが、他人ごとではないのも事実。
少々家計が苦しくても、飢えるほど食事がとれないわけでは無い。食べ物がそれなりにある日本では、死んでしまう病気か事故に遭わなければ、80歳以上の長寿を得られることは確実だったりする。
そんなに長く生きてみても仕方がないのでは、とは思うが、実際には簡単には死ねない。そこそこ身体が動かせるなら、生きていくしかないのである。
世界の中で、まだ行ったことのない土地は沢山あるし、日本の中でも見てないものは沢山ある。やりたいことが全くないわけでは無い。生きていれば、こんなこと、あんなこととコツコツやるわけだが、しかしそうした行為が、「死にたくない」と思うほど心の中で生きていくことを支えるほどにはならない。
どっちかと言うと逆で、生きているから、まあ自分の好きなことをやっていこう、と思うぐらいであって、死んだらそれでも良いと思うのである。
これは、歴史的な事実、どんな天才であっても、その後の凡庸な才能の多数の努力が超えられる程度でしかない。ということが分かっている。今、自分ならこんなことが分かるかもしれない、とやってみても良いが、それは自分がやらなくても時間が経てば誰かが同じ問題に直面してそして克服できるだろう、ということはおおよそわかるのである。
人間の価値を随分下げてしまうような物言いだが、現実はそうである以上、生に固執して生きてみても、単なる自己満足でしかなく、それが自分以外のものに与える何かは、自分が生きていようがこの世にいなかろうが大きくは変わらない。
だから、二人の老人がなくなったことは正当化される、と言っているのではない。彼らがどんな気持ちだったかは分からないが、決して死んでも良い、などと思って暮らしていたわけでは無かろう。でも、社会と切り離され、自分たちだけの暮らしが続いていく中で、果たしてどのぐらい幸せだったのかは分からない。女性の方は単に生きているだけだったかもしれない。男性が生活費が足りない、という悩みがあったようだから、決して裕福に不自由なく暮らしていたのではないだろう。食べたいものも我慢するシチュエーションがあったかもしれない。
こんな人生の最後があって良いのだろか、と思う。人はいずれ死ぬものだし、それは避けられないけど、幸せを感じながら息を引き取る、ぐらいのことはそれほど難しいものでもないはず。だが、介護していた側が先に倒れてしまえば、残された側は最後水も飲めずに死んでしまった可能性もある。苦しかったのではあるまいか?
可哀想だと思うが、それは身近な人たちにそうならないように気を遣うしかない。一方で一人暮らしが続く現在の自分が、誰に看取られるわけでもなく苦しみながら死ぬ、という可能性が無いわけでは無い。ありがちなのが、家の中で何か大けがをするようなことがあって、身動きが取れないまま水を飲むこともかなわず死んでしまうようなケースだろうか?
これは、一人で暮らす人には誰にでも起こり得るシチュエーションである。引用の記事の出来事は、「二人で暮らしていたにも関わらず」起こってしまった。面倒だと思っても、何らかの形で社会との接点は必要、ってことだろうか?
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女性が餓死か、老老介護の末
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4732986
◇支援断った85歳、生活支えた75歳
山口県下関市彦島江の浦町の住宅で23日、認知症の女性(85)と、介護していた男性(75)が死亡しているのが見つかった。関係者によると、男性が先に死亡し、残された女性が生活できなくなり死亡したとみられる。2人暮らしで、近所付き合いはほとんどなく、介護サービスも断っていたという。
下関市・彦島地域包括支援センターなどによると、23日にセンター職員と民生委員が様子を見るため訪問したところ、寝室のベッドに死後数日から数週間が過ぎた男性の遺体があり、そばの床で女性が倒れて亡くなっていた。玄関は無施錠で、テレビはついたまま。遺体に目立った外傷はなく山口県警下関署が死因を調べているが、女性はやせており餓死した可能性もある。7月末にセンター職員が訪問した際は2人とも元気だったという。
民生委員や近くの住民によると、女性は夫を約20年前に亡くした後、男性と知り合い同居を始めた。女性が受けていた遺族年金などで生活していたが結婚すると年金が入らなくなるため婚姻届を出していなかったらしい。
現場はJR下関駅の南約2キロの住宅街。近所付き合いはほとんどなく時々、男性が自転車で弁当などを買いに出たり、女性を病院へ連れていったりする姿が見られ、近所の女性は「仲は良かった」と話す。一方で民生委員は「男性は生活資金が足りないと話していた」という。時折、資金援助をしていたという男性の弟は「兄は我慢強く女性の認知症のことなど悩みを話さなかった」と振り返る。
包括支援センターによると、女性にデイサービスを勧めたこともあるが「行きたくない」と断ったという。職員は「サービスを申請してもらえなければ、これ以上、ケアすることは難しい」と無念そうに語った。
厚生労働省の2016年の調査では在宅介護のうち75歳以上の「老老介護」の割合は30%を超えている。【佐藤緑平】
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