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2017年08月22日15:54

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暑い、疲れた。


 イジメたら脳が傷つくか?
 こんなテーゼに対して、真か偽か? みたいな議論をしてみても仕方のないことだが、「科学的事実」なんて言っているが、哲学だって宗教だって科学である点は筆者が知らないのかもしれない。

 かつて、ヨーロッパなんかでは、

 「地球が平である」

 と信じられていた。

 地球に自転軸があって、回転している、という主張に対しては、遠心力で地球上のものが「飛ばされてしまう」という反論。まあ、その反論自体が間違っているわけでは無い。

 実際に、東京と沖縄で比べれば、沖縄では人の体重は軽くなってしまう。 その事実は困るので、体重計は各都道府県ごとに校正をして、どの都道府県で量っても同じ値が出るようにしているわけだが、それって、「一体何を量っているの?」体重じゃないものを数値化しているのでは? と思うところだろう。

 水に「ありがとう」、と言いながら凍らせれば本当にきれいな結晶はできるのかもしれない。まじめに実験をしてみたのだろうか? 音波が結晶格子をゆするとか当然あり得る現象だから、特定の言葉がちょうど分子の再配列を手伝ってくれる可能性はある。
 ただ、日本語の「意味」とは無関係だと説明するべきだろう。
 日本語で、ありがとうの逆の意味の言葉って良く分からないが、英語だと「サンキュー」と「ノーサンキュー」が逆の言葉なので、どちらにも「サンキュー」が入っていて近い結果が出るかもしれない。


 そんなことは、目下どうでもいい話で、まじめにバイオリンを修理することにした。修理する、と言っても、楽器屋に持って行って、「お金払うだけ」なのである。

 修理をする = お金を払う
 
 この世の中は、すべて「金」みたいな現実がまざまざと現れてくる事実である。
 といっても、修理中は自分の楽器が弾けないので、結局楽器屋さんからまたバイオリンを借りることになった。手元にあるスズキの量産型楽器は、言ってみれば「ザク」みたいなもので、ガンダムに殴られただけで再起不能になるレベルだったりする。
 そんな性能のザクでガンダムを圧倒していたシャアはやっぱりすごい人なんだろう。

 とにかく、楽器屋に行かねばならないので、昨夜は早く休んだ。とにかく良く寝よう、と思って、早めに薬を飲んで、10時には床に入る。11時前には眠りについていて、朝起きたのが7時だったので、よく眠れた。
 最近、簡単に目が覚めてしまうことが多い、下手をすると3時間ぐらいしか眠れないのである。歳も歳だけに、睡眠時間が減ってしまうのは仕方ないが、元々不眠症でいつも睡眠不足な私にとっては、眠れないのは致命的に昼の活動に響いてしまう。
 しかし、昨夜はよく眠れた。これは素晴らしい結果だった。
 朝、9時ごろに出発し、R2 淀川通 中央環状線 R1 R307 を通って楽器屋に、やはり2時間以上かかる。帰りは、お金を払って、第二京阪 近畿道 阪奈道路 阪神高速 を使ってみた。1時間で帰りつきました。
 やっぱり、お金を払う、というのは効果が大きい。それも、日ごろ一般道の無料区間だけを使っているからこそ、絶大な効果が感じららるのかもしれない。毎日、有料道路を使えるほどブルジョワではない。



 引用の記事
 道徳だって「科学」であるはずだ。何か感覚的な問題だと思っている人は多いかもしれないが、きちんとした論理の上にしか成り立たない。それを、単純な一つの事実で説明しようとするのはどっちかと言うと「非科学的」であろう。
 本当は、記事を書いている人にそうしたレベルを求めたいが、書いている人も、おそらくは読んでいる人の大半もこれが理解できないはず。
 論理の部分がいつも必要十分条件になりにくいところが、文系の科学の難しい所だが、日本の大学の文科系はそもそも数学なんかがちんぷんかんぷんの人たちがやっているから科学ではないことをやっていたりする。それって、大学でやることじゃないから、、、、
 科学で説明するがアリかナシかでなく、道徳が科学ではないと思っている時点で反省が必要。

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■イジメは脳が傷つくからダメ!? 「科学」を使う道徳授業はアリかナシか 脳科学と道徳教育の専門家に聞く
(ウィズニュース - 08月22日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=4727541

 人をいじめると脳から毒が出るので、いじめは良くない…小中学校で、そんな「脳科学」を根拠にした道徳の授業をする先生たちがいます。いや、それって科学的に正しいの? そもそも、いじめって「科学的にダメだからダメ」なの? 過去には「水の結晶」を用いた道徳授業もありました。道徳授業と「科学」の関係って、どうあるべきなんでしょう?(朝日新聞・長野剛記者)

【画像】横浜市のごみ分別AI「イーオ」の回答が絶妙すぎる 「旦那」と入力すると…

「悪いこと」で「脳から毒」
 《いじめが続くと脳幹がだめになり、生きる力を失ってしまうのです――教師の情報交換サイトから》

 学校の先生同士が情報交換をするサイトに、そんな授業例が載っていました。脳の中で、呼吸や体温調節をつかさどる脳幹ですが、いじめを受けると「ダメになる」というのです。

 《もうひとつ、脳の話をします――教師の情報交換サイトから》

 今度はいじめる側の話です。「人に意地悪をしたり、いじめたり、悪いこと」をすると、脳から「ノルアドレナリン」という物質が出るというのですが、それは「自然界の中ではヘビの毒の次に強い猛毒です」だといいます。

 そして、「いじめをする子は、自分で自分を苦しめていることにもなるのです」という結論が導き出されます。

先生「ネットで先行例知って」
 この授業、本当にやっているの? と、この授業例を投稿した新潟県長岡市の公立小学校の男性教師を訪ねました。

 「十数年前にサイトで先行事例を知り、自分でも本を読んで勉強して始めました。去年も同じような道徳の授業をしています。子供たちは『初めて知った』『いじめって恐ろしい』とか、真剣に聞きますね」

 先生はそう、明るく語ってくれました。授業のノウハウを研究する地域の教師サークルの間でも、この「脳科学」を使った授業をする仲間はいるそうです。

 「いじめは犯罪。許されるものじゃない。いじめられて自ら命を絶つ子どもがいる、ということも、本を読ませたりして教えます。しかし、響かないこともあるんです」と、先生は打ち明けます。「脳科学」を使うのは、「別の視点を与える」という観点からだといいます。「私個人の言葉よりも、科学の話の方が子供たちには新鮮で、受け入れられます」

プラス思考で「良いホルモン」も
 「脳科学」を使う先生は、新潟だけではありません。西日本の国立大学付属中学校の数学教師は、「プラス思考」を脳の仕組みから説き起こす授業の例を、同じサイトに投稿しています。

 《プラス思考をして人に親切にしたり善い行いをしたりすると、脳からβ−エンドルフィンという良いホルモンがでます。(中略)「あなたはこの世に必要な人です。長生きしなさい」という神様からの言葉なのかもしれません。――教師の情報交換サイトから》

 電話で伺うと、この先生も2010年ごろにサイトで情報を得て、本も読んで「自分なりに組み立ててみた」とのことでした。毎年行っており、今年もすでに担任するクラスでこれを改良した授業をしたそうです。

「作り話や物語で教える道徳は、自分でも上滑り感がありました。科学的根拠がある方が、子どもに対して説得力があります」

専門家に聞くと「△」「×」
 まず、その「脳科学」は正しいのでしょうか? 脳と心理を研究する名古屋大学教授、大平英樹さんにチェックしてもらいました。

 まず、「いじめられると脳幹がだめになる」ですが…

 「△ですね」。実際に、強い精神的な衝撃による心の傷、PTSDを負った人の脳で、「海馬」と呼ばれる部分が萎縮するのは有名だそうです。「脳幹に限りませんが、強いストレスで脳に障害が出ることはあり得ます。ただ、科学的な報告があっても論争中のものも多く、そう単純ではありません」

 では「ノルアドレナリンは毒」ですが、これは「×」。ノルアドレナリンはピンチの時など、ストレスを感じたときに脳などを活発化させる物質だそうです。意識を覚醒させ、対応できるよう備える神経伝達物質で、役目を終えると分解されます。「なので、何かの原因でたくさん分泌されても、健康な人が病気になることはありません」

 そして「エンドルフィン」は「△」でした。気持ちよさをつかさどる物質のひとつで、「いいことをすることが好きな人」ならば人に親切にしたときにも出る、という脳の働きを示した研究はあるそうです。ただし、反社会的なことが好きな人なら、「悪いこと」をしても出うるとのこと。

 「根本的な話として、脳の活動と善悪は関係ありません。人体は誰でも同じ仕組みですが、何が『善い』かは文化や状況によって変わります。だから、様々な『善い』に対応する画一的な体の反応はあり得ません。単純化は危険です」

「水の結晶」の教え、今も
 「水に良い言葉で語りかけるときれいな結晶ができる」という話を題材にした道徳教育もあります。これは2000年代、多くの科学者から「間違っている」と指摘され、批判もされているので、ご存じの方も多いかもしれません。

 この問題に詳しい文教大学教授の長島雅裕さんによると、この授業の原型は1990年代末に書かれた本です。

 「ありがとう」などの「良い」言葉を見せた水と、「ばかやろう」などの「悪い」言葉を見せた水をシャーレ(実験用小皿)に少量とり、−5度の部屋で観察すると、水が凍った氷の先に「水の結晶」ができ、良い言葉をかけた結晶は美しく、悪い言葉の結晶は汚くなる、という内容。だから「きれいな言葉を使おう」と結論します。

 長島さんは「水が言葉に反応することはありえず、もちろん間違いです」と語ります。最も盛んだった00年代には、1自治体で2割の学校で使われていた、という報道もあったそうです。

 この授業は今も、続いているようです。福岡県内に住む大学生は今春、バイト先の塾で生徒から「水にありがとうと言うときれいな結晶が出来る、と授業で聞いた」と言われ、「まだやっているんだ」と驚いたといいます。

 この学生さん自身、中学時代に全校集会で校長先生から同じような話をされました。「先生が言うぐらいだから本当だろう」と一時は信じましたが、その後、真実ではないと知りました。「こんな話でだましやがって」。先生への信頼が崩れた、と振り返ります。

「科学」な道徳の可否は?
 完全に間違った「科学」を使った道徳授業もある反面、「間違いとまでは言えない」ものもありました。ひょっとすると「正しい科学」を使った授業もあるかもしれません。

 間違っている、間違っていないにかかわらず、道徳の授業に「科学的事実」を持ち込む是非って、どうなんでしょう? 「脳科学」でお話を伺った名古屋大の大平さんは「違和感を覚えます」とおっしゃいました。

 そこで、道徳教育に詳しい教育哲学者の長崎大学准教授、山岸賢一郎さんに伺いました。まず、科学として間違っているものを根拠にした道徳教育って、どうでしょう?

 「端的に言って、道徳的ではないのでダメです。意図的ではないにしても、結果的にウソになることで児童生徒を言いくるめよう、っていうのは道徳的じゃないですよね。教育基本法も、教育の目標のひとつに『真理を求める態度を養う』ことを掲げているわけですし」

「科学」が正しくても「不適切」
 では、科学的に全く正しい「事実」に基づく道徳授業はどうでしょう?

 「哲学の世界では知られたことですが、『○○である・でない』と『○○すべきだ・すべきでない』の間には絶対に埋まらない溝があります。つまり、科学が教えてくれる『である』をいくら積み重ねても、『すべきだ』にはなりません。その間を埋めるのは、あくまで道徳的な判断です」

 と、いうことは?

 「そもそも、道徳の授業の目的は、児童生徒の道徳的な判断力を養うことです。その判断を児童生徒自身にさせず、『科学』という権威を使って判断結果を押しつけようとするのは、不適切です。文部科学省の唱える『考え、議論する道徳』と対極ですね」

先生たちの「環境整備を」
 なるほど。しかし、学校の先生方も熱心で、良かれと思ってやっていることでしょう。お会いした長岡の先生も、マジメな方でした。どう対応すべきでしょうか。

 山岸さんはこう、考えます。

 「学校の先生方に、きちんとした環境を整えてあげるしかないです。自分の授業の工夫が果たして適正かどうか、まずは同僚とチェックし合えるような環境ですね。学校の先生が忙しすぎて、そうしたことができないのが問題だと思います」

 ◇ ◇ ◇
 道徳はこれまで、国語や社会科のような「教科」ではありませんでしたが、来年度から小学校で、再来年度から中学校で、それぞれ正式な教科になります。つまり、児童生徒の成績がつけられるようになります。学校の道徳の重要性は今後、さらに増していきそうです。
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