特に直射日光を浴びると、あっという間に体力消耗する。さすがに今日は暑い。
ちなみに、昨夜は涼しかった、台風がもたらした雨で大地が冷やされた、そんな一夜で、氷枕もなしに眠った。
今朝は、朝から少しボーとしていた。最初にやらねば、と気が付いたのは証券会社へのアクセスだが、パスワードが通らない。パスワードを書いてまとめてあるノート、というのが引っ越した時に紛失、コツコツ探しているのだが、未だにみつからない。それでも、今日は積み立て預金の通帳が見つかる、という出来事もあり、それなりに成果は積みあがっている。
午前中からそんなことをしていたので、洗濯機を回すのをすっかり忘れていた。
なんだか、今日はダメダメだ、と感じる。 こんな日もあろう。
一日が 「無かった事」 にして明日に臨んでも良い、とさえ感じる。
だが、植物は育つので、午後に土をふるい、プランターを準備する。
これにコスモスの苗を植えるところまでやって、一応庭仕事は終了。
新しく買ってきたプランター二個には、コスモスの苗が植えられている状態になった。これからすくすく育って、9月には花を沢山咲かせてほしいものだと思う。花なんか咲いても食べられるわけでもないが、なぜだか花が咲いていると幸せだと感じる。この原理は私にはよくわからない。
そんな暑い、という日が、夏の間。8月6日。8月9日。そして、8月15日。日本では広島・長崎の原爆と終戦記念日として節目の日になっている。
終戦そのものは、玉音放送が流れた日、であって、ポツダム宣言受諾の日でも、戦闘が終了した日でもない。ロシア軍(ソ連軍)・八路軍・人民軍など、ポツダム宣言など無視をして組織的な戦闘を続けた軍隊は多い。戦争はここぞ、という国家的略奪のタイミングでもある。実際、北方領土はそのようなどさくさに紛れて実質ロシアに支配されたままだし、台湾の国際的位置づけもあいまい。朝鮮半島は南北に分断されたままである。
ベトナムなんかは、何とか国家統一もできて今は発展している国だが、そこへ至る道は長かった。人々は戦乱の中苦しい思いをしてきた。
日本は、形の上で武装放棄を起こない、自衛隊が設立されたのちも軍隊ではないという建前を持っている。
建前でも何でも、「戦争はしない」という具体的な行動は大事だろう。傍若無人な国家が世界の中にないわけでは無い。それでも、基本は話し合いで物事を解決する方がお互いにとって幸せな結果になる場合の方が圧倒的に多い。
気に入らないから「殴る」
というのは、誰も幸せにはならない方法である。
とは言っても、話し合いには忍耐が必要だし、とにかく勉強を重ねなければ高度な話し合いはできない。言葉の壁もある。それぞれの言語にはその言葉独特の意味があるから、他の言語でそっくりそのまま言い換えられないこともある。国家間の話し合いでは、相手の言葉の意味も良く理解しなければならないし、お互いの言葉の使い方も難しい問題として横たわる。
核兵器が生み出したものは二つある。
まず、実戦では核兵器はほとんど役に立たない、という事実と、戦略兵器としては絶大な効果を持つ、ということである。
長崎で核兵器が使用されたのち、72年間実戦で核兵器の使用はない。戦争で使うには威力が大きすぎて、戦術的には他の兵器の使用の方がはるかに効果があるから、という理由だろう。だから、核兵器を使っていないからといって戦争が起こっていない訳では無い。
核兵器の廃絶、という題目は達成されるべき目標だと思うが、根本的にはいかにして戦争をしない世界を作っていくかが大事だろう。戦争を国際問題の解決方法の手段にしない、ということは大変大事なことだが、現在の世界なら、国内問題の解決にも武力を用いない、というルール作りも本当は必要である。
けれども、それぞれの国の国内問題は、基本的にその国家にゆだねられていることであるから、他国の内戦に日本が口出しをする、という行為自体が簡単には出来ない行為となる。
国家などという枠、がなければもっと包括的なルールを作ることはできるのだろう。けれど、その社会の実現は可能なのかどうかも分からないし、異なる価値観のある国家がある方が結果的には良い社会の構成が可能になるという考え方はもちろんある。
日本は、隣国の北朝鮮が挑発的な行動をとることに悩まされているのは一面だが、国内に他国の軍事基地があって、領土・領海・領空を他国の軍隊が進む、というのはある意味変な話ではある。軍隊という組織の存在自体を認めていない国家が他国の軍隊の行動を認めてしまう。矛盾はある。
現実的な対応は、まず日本が決して核武装をしない、という方針を貫くことだろう。また、自衛隊はあくまで自衛の手段であって、これにも過剰な戦力を持たせるべきではない。私たちの税金で運用しているのである。組織的にも軽く・経費が掛からないような装備や運用が求められるものだと思う。
その不足分を米軍に頼っているのは事実だが、まじめな話し合いは、中国・ロシアを交えて行わなければならない。地道に話し合いを続け、お互いの軍隊を削減できる方向へ向けなければならない。勿論、国家財政を助けるためであるし、そもそも戦争はしない、という前提を作れば、相手を攻撃できるミサイルなんか必要ないはずだからである。
割と容易にミサイルに転用できてしまうロケットの技術なんかは、日本では随分進んでいる。とはいっても、航空機の発展の例を見ても良く分かるように、現在の旅客機は、戦闘機に転用など不可能だ。空を飛ぶ、ジェットエンジンを使っている、と言った共通点はあっても、旅客機に機銃を積めば戦闘機として使えるか? みたいな議論をすれば、それは無茶だとわかる。
現代の兵器は、兵器を開発しよう、という前向きな姿勢でなければ作ることはできない。物資や人員を輸送するような後方支援になら、確かに旅客機や輸送船でも転用できるのかもしれないが、それで前線が維持できるなんてことはありえない。
それ故、自衛隊の理念そのものの中に、戦争を引き起こさない核心的内容は内包されている。その現状は守っていく必要はあるだろう。
---------------------------- ------------------------------
■長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」
(朝日新聞デジタル - 08月09日 11:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4709310
長崎に原爆が投下されて72年となった9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。田上富久・長崎市長は平和宣言で、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎する一方、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判した。
午前11時2分、原爆が投下された時刻に式典の参列者は1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。田上市長は平和宣言で、核兵器禁止条約について「『ヒバクシャ』の苦しみや努力にも言及したこの条約を『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と述べ、条約を推進した国々や国連、NGOなどの「強い意志と勇気ある行動」に感謝の意を表明した。平和宣言の半分以上を条約への言及にあてた。
一方で、「これはゴールではない」として、「ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われている」と訴えた。条約に反対する核保有国や核の傘に依存する国々に対し、核兵器に依存する安全保障政策の転換を求め、核不拡散条約(NPT)が課している核軍縮の義務を果たすよう求めた。
日本政府に対しては、唯一の被爆国として核保有国と非保有国の「橋渡し役を果たす」としながら、条約交渉にすら参加しなかった姿勢を厳しく批判。「条約への一日も早い参加」を求めた。憲法の平和の理念と非核三原則の「厳守と世界への発信」も政府に求めた。
安倍晋三首相は来賓あいさつで「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要」との考えを示し、「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく」と述べたが、具体策には言及しなかった。
式典には国連軍縮部門トップの中満(なかみつ)泉・軍縮担当上級代表(事務次長)のほか、核保有国6カ国を含む58カ国の駐日大使らが参加。昨年まで参加していたインドとパキスタンは不参加だった。トランプ政権になり、「核なき世界」の実現を訴えたオバマ前政権の核政策からの後退が懸念されている米国も臨時代理大使が参加した。
この1年間に新たに死亡が確認された3551人の名前が記された原爆死没者名簿も奉安され、長崎原爆による死没者は17万5743人になった。(山野健太郎)
ログインしてコメントを確認・投稿する