<クァルテット・ベルリン・トウキョウVol.7>
【プログラム】
1 ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ短調 op.76-2 Hob��:76「五度」
2 ウェーベルン:弦楽四重奏のための「6つのバガテル」op.9
3 ウェーベルン:弦楽四重奏のための「5つの楽章」op.5
4 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第7番 へ長調 op.59-1「ラズモフスキー 第1番」
(アンコール)
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調より第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」
2017年6月24日(土),16:00~,ふきのとうホール
<クァルテット・ベルリン・トウキョウVol.8>
【プログラム】
1 シュルホフ:弦楽四重奏のための5つの小品 WV.68
2 バルトーク:弦楽四重奏曲 第2番 Sz.67
3 ブラームス:弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.51-2
(アンコール)
ブラームス:「子守唄」
2017年6月25日(日),16:00~,ふきのとうホール
<アルディッティ・クァルテット>
【プログラム】
1 バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番 Sz.85
2 リゲティ:弦楽四重奏曲 第2番
3 細川俊夫:沈黙の花〜弦楽四重奏のための
4 ラッヘマン:弦楽四重奏曲 第3番「グリド(叫び)」
2017年6月26日(月),19:00~,サルビアホール(横浜市鶴見区文化センター)
<ハーゲン・クァルテット>
【プログラム】
1 ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 へ長調 op.73
2 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 へ長調 op.135
3 シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ長調 D.810「死と乙女」
(アンコール)
ハイドン:弦楽四重奏曲 変ロ長調 op.76-4 Hob��:78「日の出」より第3楽章
2017年7月2日(日),14:00~,神奈川県立音楽堂
上記のとおり,ほぼ一週間の間に,3つのクァルテットによる公演を4回聴いた。そのうち,アルディッティ・クァルテットの演奏からは,音楽観が根底から覆るほどの衝撃を受ける。以前,スカラ座の「トゥーランドット」を観て以来,この種の体験は絶えて久しい。まさかもう一度このような経験をするとは思いもよらなかった。「トゥーランドット」体験を上書きする事件だった。
アルディッティ・クァルテットの演奏は,聴く側に強力なカタルシスをもたらす。彼らの演奏を聴いていると,頭や心の内部にこびり着いた思考や感情の凝り固まった断片が細かく粉砕され,ひとつ残らずこそぎ落とされ,綺麗さっぱりと洗い流される感覚を味わう。聴いている最中はいつになく気分が高揚し,異様なまでの興奮を覚える。そして,演奏が終わると,熱い風呂から上がった後のような爽快感が訪れる。内面が浄化され,全てが白紙の状態に戻ったようなリフレッシュ感がある。究極のカタルシスだろう。
このクァルテットは次から次へと不協和音の塊を作り出し,それが怒涛のように客席に押し寄せる。その響きの塊は密度が高く,硬い感触があり,しっかりとした手応えの質量感がある。だが,それは喩えようもないほどの美しさを湛えている。それは無造作に削り出された金属の塊のようでもある。聴衆はそのような意味のない音響の嵐に曝され,そのパワーに圧倒される。
音楽から意味を脱構築することが現代作品の使命であるとするなら,彼らの演奏は大成功を収めたことになる。1927年に書かれたバルトークの弦楽四重奏曲第3番は,民族主義の残滓はとどめつつも現代音楽に急接近した作品。ハンガリー動乱直後に亡命したリゲティの弦楽四重奏曲第2番は,トーンクラスターなどの前衛的手法をマスターした後の1968年に作曲。細川俊夫の「沈黙の花」も1998年のドナウエッシンゲン音楽祭の委嘱作品で,アルディッティ・クァルテットに献呈された。オペラ「マッチ売りの少女」で知られるラッヘマンの弦楽四重奏曲第3番「クリド」も,ザルツブルグ音楽祭やルツェルン音楽祭などからの委嘱作品で,このクァルテットによって2001年に初演された。こうした作品のラインアップが彼らの刺激的な演奏を可能にしたことはいうまでもない。
当然,この日のプログラムは特殊奏法の博覧会の様相を呈する。このグループの驚嘆すべきところは,それが特殊奏法であることを意識させないほど楽々と弾きこなしてしまう点だ。確かに,暴力的なサウンドなのだが,弦を擦ることで生まれる多種多様な楽音(雑音)はとても聴きやすく,ついその美しさに魅了されてしまう。不協和音が協和音に,無調が調性音楽にきこえてしまう高度なテクニック,そしてその背景にある彼らの音楽性がこの演奏会を支配していたことは間違いないだろう。
もう一つ特筆すべきことは,このホールのサイズ。客席数が100のコンパクトな演奏会場で聴いたからこそ,アルディッティ・クァルテットの迫力を堪能できたという事実は見逃せない。しかも,そこには弦楽四重奏曲が好きでたまらない聴衆,現代音楽をこよなく愛するオタクで満員盛況なのだ。ある意味,このホール以上にアルディッティ・クァルテットを聴くにふさわしい演奏会場はない。ちなみに,このホールは新しくできた横浜市鶴見区民文化センターを構成する施設の一つで,JR鶴見駅に隣接する複合商業施設の横にある。この演奏会は横浜楽友会が主催する弦楽四重奏シリーズの一環として催された。このシリーズには今後とも注目せねば。
クァルテット・ベルリン・トウキョウが行なった演奏会のアンコールで細川俊夫の「沈黙の花」の一部を聴いたことがある。この弦楽四重奏団の「沈黙の花」からも強い印象を受けたことをはっきり覚えている。ただ,アルディッティ・クァルテットの演奏を旧約聖書をヘブライ語による朗読に喩えるなら,クァルテット・ベルリン・トウキョウの演奏はヘブライ語で書かれた旧約聖書を現代日本語の口語訳に相当するだろう。それくらい日本の聴衆にわかりやくす噛み砕かれた演奏だということだ。理解が容易であることはメリットである反面,作品が解釈によって歪められたのではないかという不安もある。それくらい現代日本の聴衆にアピールする現代作品の演奏である。
2日間にわたった演奏会のプログラムのうち,ウェーベルンの「6つのバガテル」と「5つの楽章」はまるでモーツァルトが10代で書いたディヴェルティメントのように親しみ易い表現だ。もちろん,ウェーベルンの2曲はすでに古典に属する現代作品ともいえるので,親しみ易い演奏になるのは一向に構わないのだが,この作曲家の作品が持つ独特の緊張感が失われかねない点が気になるところだ。シャープであるべき響きが,あまくなりがちである。たぶん,この弦楽四重奏団の4本の弦の響きが骨太であることも大いに関係があるだろう。とはいえ,退廃音楽の烙印を押され強制収容所で落命したシュルホフの「5つの小品」は,クァルテット・ベルリン・トウキョウらしい雄渾な演奏で,ナチスに対する抗議のようにもきこえる秀演だった。そして,彼らが取り上げたハイドン,ベートーヴェン,ブラームス,バルトークは,いずれも噛んで含めるようなわかりやすさと雄渾さが特徴の演奏で,弦楽四重奏曲の幅広い層へアピールすることを自分たちの使命としているようにも解釈できる。
神奈川県立音楽堂で開催されたハーゲン・クァルテットの演奏会は,いつになくまろやかな弦の音色が心に残る。ハーゲンはあちこちのホールで聴いているが,どちらかというと硬めの音色で,ささくれだったような響きが気になることが多い。しかし,長い年月を経て熟成されたこのホールの音響効果が素晴らしい結果につながったようだ。また,東京クァルテットが使っていた弦楽器一式がハーゲンに貸与され,新しい楽器に慣れて持ち味を引き出すことができるようになったことも関係しているかもしれない。このホールのベニア板を貼り付けたような内装には興醒めするが,その響きの良さを実感するいい機会となった。
ハーゲンの演奏は若干精彩を欠いていたようだ。シューベルトの「死と乙女」は弛緩気味であり,ベートーヴェンの第16番も瞑想的な幽玄さが不足していたようだ。ショスタコーヴィチのメカニカルな第3番はテクニックだけで弾き切ったようだ。今回の来日の主な目的は,トッパンホールでの7月3日から5日までのシューベルトとショスタコーヴィチのチクルスなので,それに備えてエネルギーを温存したのかもしれない。また,弾き慣れたこれら3作品をこの日のプログラムで取り上げたため,緊張感を失わせたとも考えられる。なんと言っても,アルディッティの演奏に幻惑されたことが尾を引いているのが最大の要因なのだろう。
繰り返しになるが,アルディッティの演奏を聴いて世界が劇的に変化した。これはスカラ座の「トゥーランドット」を聴いて以来の出来事だ。英のOxford Dictionariesが2016年のWord of the yearとして選んだPost-truthの顰みに倣えば,アルディッティを聴き終えた瞬間から,ポスト・トゥーランドットからポスト・アルディッティに世界が一変したことを意味する。このような機会に恵まれたことは幸せ極まりないことだ。その一方で,ハーゲンの場合のように,今まで輝いていたものが色褪せてしまうという副作用を伴うのも避けられない現実である。
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