潔子が母親である祖母に放置されていたのは事実だが、
温子や須磨子も現代のように母親と毎日触れあって生活していたわけではない。
華族出身の姑が認知症になって食事も離れで侍女に介護されて食べるようになると、
祖母は母屋でごく普通に家族と食卓を囲むことができるようになった。
と言っても、夫である祖父は年々不穏な空気が高まる中国大陸に行ったきり。
薫兄さんは学校が遠いからと言って先に朝食をとるので、
三姉妹と祖母のみの食卓である。
しかし、完全に毎日母娘が顔をあわせられるのは朝食の時のみ。
朝食後、子どもたちは学校や幼稚園へ行き、
祖母は軍の高官の奥様会やら観劇やら買い物やらでほぼ毎日外出。
子どもたちは学校や幼稚園で、祖母は出先で昼食をとる。
潔子はなぜか姉たちのように幼稚園に入園させて貰えなかったけれど、
使用人たちの間で鍛えた度外れた社交性を発揮して、
ちゃっかり家の近所の幼稚園の園庭にもぐり込んで園児と一緒に遊んでいたが、
さすがに昼食は家に帰ってお梅ちゃんの給仕で食べた。
夕食時に間に合って帰宅できれば祖母は子どもたちと一緒に食卓を囲むが、
帰宅が遅くなった時は三姉妹で食事をして就寝という日々。
祖母も毎日、外出していたわけではなく、
たまに家に居る日は温子の勉強の進度を監督して叱咤激励したり、
須磨子の髪を可愛らしく結ってリボンを付けたり、
スカートをたくし上げて庭の柿の木に登る潔子のお尻を叩いて叱ったりと、
普通の母親らしい時間を過ごした。
家事は使用人に丸投げしていたと書いたが、
雑誌の「美味しい手作りマヨネーズ」という記事に触発され、
厨でマヨネーズ作りに勤しんでみたこともあった。
と言っても、祖母自身が作るのではなく、
「タマエ、卵黄をしっかりかき混ぜなさい」
などと作り方をレクチャーして使用人に作らせていただけなのだが……。
なぜかマヨネーズを作るだけで半日もかかり、
こっそり厨を覗いていた潔子は買った方が早いのではと思ったという。
三姉妹を連れて外出することもあった。
と言っても、未だ復調していない祖母は子ども三人を連れて遠出するのは難しいので、
近場のお散歩程度の外出が多かった。
祖母は右手で温子、左手で須磨子と手をつないで歩いた。
その後ろをタマエやお松、お竹が荷物を持って付き従う。
潔子はお梅ちゃんに手を引かれてどんじりを行く。
家を出る時は祖母の後ろを歩いているのだが、
まだ幼く歩くのが遅いうえ、
道端に生えた野の花をつんだり縁石に駆け上がったりして遊んでいるうちに、
必然的にどんじりになってしまうのだ。
今日も今日とてどんじりになって「奥様たちに置いて行かれてしまいますよ」と、
二代目お梅ちゃんにせっつかれていた潔子は、
どんじりでも文句も言わず楽しく一緒に歩いてくれた初代お梅ちゃんを懐かしみながら、
遙か前を行く祖母と2人の姉たちの背中を見やった。
すると、潔子の横を1人の男がすっと通り過ぎていき、
祖母たちを抜かすその刹那、須磨子の左腕をもの凄い勢いで引っ張り、
バランスを崩した祖母が手を離すとそのまま須磨子を抱いて走り去っていった。
「須磨ちゃんが人攫い(今で言う誘拐犯)に連れて行かれた!」
走り去る男を見て驚愕した潔子はさらに信じられない光景を目にする。
道端で将棋を指していたおじさんやら植木の手入れをしていたお兄さんやら、
周囲にいた人たちが一斉にわいわいと男を取り囲み、
何メートルも走らないうち人攫いが捕まったのだ。
実は、この男は金銭目当ての誘拐犯ではなく、
陸軍の高官だった祖父の持っている軍事機密狙いで、
子どもを誘拐して機密文書との交換を目論んでいたらしい。
でも、男を怪しんで尾行していた特高警察と、
ここのところお散歩の際、怪しい男が付いてくるのを訝しんだタマエの報告を受け、
祖父が頼んだ部下が変装して見張っていたので、
あっという間に御用になったというわけ。
この事件の後、潔子たち三姉妹は外出には短距離でも車を使うよう厳命され、
祖父は娘たち一人一人に専用の車を買って信用のおける運転手を雇った。
と言う訳で、潔子は自分専用の車で尋常小学校に通学することになった。
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