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2017年03月25日22:28

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ソコロフ モーツァルト&ラフマニノフ・ピアノ協奏曲

【収録曲】

1 モーツァルト: ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
  マーラー・チェンバー・オーケストラ /トレヴァー・ピノック(指揮)
  2005年1月30日,モーツアルテウム,ザルツブルク(ライブ)

2 ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30
  BBCフィルハーモニック /ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)
  1995年7月27日,ロイヤル・アルバート・ホール,ロンドン(ライブ)

CD: Deutsch Grammophon 4797015(DVD ”A Conversation That Never Was”付属)


ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が傑作である所以を得心させるCDだ。世間では,この作品がピアノ協奏曲の傑作の一つに数えられていることは承知している。そして,この曲の録音は何種類も聴いたことがあり,演奏も片手では数え切れないくらい聴いた。だが,レコーディングでもステージでも,ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番がピアノ協奏曲の名作であることが納得できる演奏を聴いたことはない。ただ,随分とスケールの大きなピアノ・コンチェルトだという印象だった。そして,ピアニストが超弩級の楽曲と悪戦苦闘しているような演奏ばかり。ソコロフのように,音楽的にも演奏技巧の上でも,この作品を完全に手中に収め,自由自在に弾きこなす演奏を聴くのは,これが初めて。

この演奏を聴いて,音楽は2種類に大別することができそうだと思い付いた。ひとつは,演奏家の力量に応じて作品の魅力を発揮できる楽曲。もうひとつは,ある閾値を超える音楽的力量の持ち主が弾いてはじめて,その真価が発揮される作品。ラフマニノフのピアノ協奏曲を例にとれば,第2番は前者に該当し,第3番は後者の典型なのではなかろうか。第2番のコンチェルトも技巧的には超難度の曲であるが,どのピアニストでもその技量に応じた美しくロマンチックな演奏をすることは可能だろう。一方,第3番は,ラフマニノフのロマンチシズムと超弩級の超絶技巧を兼ね備えたピアニストが弾いてはじめて,その真価がわかる楽曲といえる。

仮に,この見立てが妥当だとすれば,現役のピアニストの中では,このピアノ協奏曲のソリストとしてソコロフが最適任ということになりはしまいか。彼はロシア・ピアニズムの数少ない継承者の一人だ。群を抜いたヴィルトゥオージティの持ち主であり,その演奏スタイルはロマンチックで,ロシア的情緒にも事欠かない。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は,ピアニストにとって難曲中の難曲だと思う。技術的に難しいのはもちろん,全曲を弾き切るには体力的にも厳しい。ソコロフの演奏を聴くと,このピアニストがこの作品を完璧に消化して自分のものにした上で,この曲を弾きこなしていることがわかる。つまり,ソコロフは音楽的にも技巧的にもラフマニノフに勝るとも劣らない力量の持ち主であることを自ら証明しているようなものだ。演奏の随所でテクニックは冴えわたり,しかも傑出した音楽性に支えられているヴィルトゥオージティであることは一聴瞭然。ただし,第3楽章の最後の最後で体力的な限界に達したのか,ミスタッチのために和音をきれいに鳴らし切ることができなかった。でも,これは小さなキズに過ぎない。

ロマンチシズムはラフマニノフの特徴だ。テクニックが優位を占めるこのピアノ協奏曲でも,ロマンチシズムは不可欠な要素である。20世紀の初頭に書かれたこの曲は,爛熟したロマン主義の賜物でもある。ソコロフの演奏は熟れ切ったロマン主義に溺れることなく,かといって機械的な技巧に走ることもない。ある意味,知性のコントロールが効いている。おそらく,ソコロフ自身はロマン主義的な美学が支配的な環境で育ったものの,ヴィルトゥオージティを追求する過程で,音楽を主知主義的に捉えようとする傾向を強めたことをうかがわせる。とはいえ,ラフマニノフの作品を演奏する際に求められるロマンチシズムは十分に持ち合わせている。

ロシア的なメンタリティーもラフマニノフの演奏には欠かせない。ヴィルトゥオージティやロマンチシズムほど目立たないにしても,少なくとも隠し味としては必須の要素である。ロシアの音楽家は全員,空気を呼吸するようにこの要素を身に付けるのだろう。ソコロフのロシア的情緒は,時代的な近さもあって,チャイコフスキーのものよりも,ショスタコーヴィチのそれに近い。鋼のような強靭さの中に潜む叙情性に変容を遂げている。さらに,奔放ともいえるダイナミズムもロシア精神の発露なのだろう。

もうひとつ,この演奏に関して忘れてならないのは,マンチェスターが拠点のBBCフィルハーモニックとヤン・パスカル・トルトゥリエの健闘ぶりだ。ソコロフのピアノに勝るとも劣らないスケールの大きいダイナミックな演奏である。このコンビによる豪快なサポートがなければ,これほど印象深い演奏にならなかったことだろう。それにしても,フランス人の指揮者とイギリスのオーケストラとの組み合わせがロシアの作品で,これほどの快演を披露してくれるとは,正直なところ驚いている。ソコロフに触発されたという要素はあるにしても,英国の音楽文化の懐の深さに感じ入ってしまう。ドイツ,オーストリア,フランス,ロシアなどのように際立った個性は乏しいにしても,その水準の高さや奥行きの深さには大英帝国の名残が感じられなくもない。また,当時,首席指揮者だったトルトゥリエ(チェリスト,ポール・トルトゥリエの長男)の手腕も大きい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番も優れた演奏。特に感心したのは第2楽章だ。この楽章は映画「アマデウス」で使われていて,執拗で病的な鬱屈感が脳裏に刻み込まれていた。だが,ソコロフが弾くこの楽章は,いたって健全で強迫的なところはかけらもない。ようやく納得のゆく演奏を聴けた思いだ。どちらかというと,演奏は指揮者のトレヴァー・ピノックが主導しているようにきこえる。ソコロフが前面に出たモーツァルトを聴きたかった。

このアルバムはソコロフがDGに移籍してから初めてリリースするコンチェルトのCD。でも,ラフマニノフが1995年,モーツァルトが2005年のライブだ。著作権など複雑な権利関係があるにせよ,かなり古い録音だ。それでも聴くことができるだけラッキーということなのだろうか。確かに,貴重な音源であることは間違いないのだが。
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