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2016年11月10日10:42

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日本海海戦で秋山参謀の霊夢




中矢伸一氏の最新刊「日月神示 神か獣かの超選択」で中矢氏は次のように言っています。
日本という国に、気骨ある、精神的な意味でのホンモノの日本人が生きていたのは明治期までだと思っている。

何が変わってしまったかというと、「武」の精神が失われてしまったことである。

「武」の精神とは、「忠義」すなわち、主君のために働く、公のために尽くす、国の為に命を捧げるというふうに、大いなる存在に対して義を尽くすことである。自分に利するところとか、見返りとか、栄達とかを考えずに、ただ崇高なるものために己を捧げる、至誠を尽くすという心である。

こういう精神を持つ者が多かったから、たとえ貧しくとも明治期までの日本は光っていた。
昭和の軍人には少なくなったが、大将といえる器を持った人物が、明治の軍人にはゴロゴロいた。

そして強調しておきたいのは、至誠の心をもって事にあたれば必ず天佑神助が働くということだ。

以下、著書より転載します。

それは、あの日露戦争当時における秋山真之中将の秘話にも見出される。
海軍が誇る名参謀であった秋山真之の存在については、司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」で実に見事に描き、現代日本人の心に鮮明に焼きつくことになった。


1.ウラジオ艦隊の場合
日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破できたのは、実は秋山真之参謀が見た「霊夢」によるものだった。以下、紹介するこの不思議な体験は、かの浅野和三郎が秋山中将から直接聞かされた話を文章に記録したものであり、現在は「心霊学入門」(日本心霊科学協会刊)に収録されている。

秋山真之という人は、霊的な感受能力に優れていたところもあったようだ。もちろん軍人としても卓越していたが、どちらかといえば宗教家の方が合っていたかも知れない。実際、秋山は後年、エリート軍人であったキャリアを捨てて仏門に入ってしまい、周囲から大いに惜しまれたというエピソードを持つ人だ。ちなみに、綾部の大本の神苑にも訪れたことがある。

さて、その秋山中将が、日本の近代心霊科学研究の草分け的存在であった浅野和三郎に対して、「誤解を招かぬよう、今まで誰にも話さなかったが、あなただけにお話します」と前置きして語った裏話は二つほどある。

まず一つは、バルチック艦隊との決戦の前、ウラジオ艦隊が、ウラジオを抜け出して次々と常陸丸、佐渡丸を襲ったときのことだ。

日本の朝野は、ロシアのこの奇襲に色を失った。上村(かみむら)艦隊は、ただちに前線から呼び戻され、敵艦の位置を突き止めるべく探索に当たったが、出没不明の敵の行動は予測し難く、手の下しようがなかった。

秋山は当時、東郷艦隊の一参謀として軍艦三笠に乗船し、旅順港封鎖の任に着いていた。
ウラジオ艦隊捜索の状況は、無線電信で刻々と報告される。しかし東郷艦隊としては旅順をひと時たりとも離れるわけにはいかない。

敵は日本海を通ってそのままウラジオストックへ引き上げるのか、それとも太平洋に出て、日本の東海岸を荒らして津軽海峡または宗谷海峡を抜けて帰港するのか、上村艦隊はこれを予測して追撃の方策を決めねばならない。海軍の頭脳であった秋山参謀の苦心焦慮は極点に達した。

一晩中考え尽くしても考え得ず、疲労のあまりトロトロとまどろんだ時、突然、秋山の眼中は日の出前の東の空のように明るくなり、百里千里の先までハッキリと見え出した。

それは、日本の東海岸の全景で、津軽海峡が彼方に見える。そこに、今しも津軽を指して進航する三隻の軍艦の姿があった。それこそ、夢の間にも忘れたことのない、ウラジオ艦隊のロシア、リューリック、グロモボイ号ではないか。

「あいつ共、日本の東を回って津軽を抜けるのだな・・・・」
と直感した瞬間、海も波も艦隊もパッと消えて眼が覚めた。

夢か、はたまた現実か・・・・・? しばらく戸惑ったが、これがいわゆる「霊夢」というものではないかと気づき、秋山は言い知れぬ感激に打たれた。

秋山参謀はこれによってウラジオ艦隊が太平洋をまわって津軽海峡を抜けることを確信した。しかし、「今朝、霊夢で知らされた」と言っては冷笑を買うだけに終わる。そこで、霊夢のことは誰にも言わないことにし、次のような意見を発表した。

「理詰めの判断によって、敵艦隊の行動を推察した結果、敵は必ず太平洋をまわり津軽海峡を抜けてウラジオへ戻るはずであるから、上村艦隊は日本海を通って津軽海峡の内側で敵を待ち受けるべきである。敵艦隊の後を追って太平洋を捜索するのは虚しく敵を逸するおそれがある」

この意見は軍司令部にも上村艦隊にも無電通達されたが、惜しいかな、採用されなかった。
その結果、ウラジオ艦隊は霊夢に示された通りに、悠々と津軽海峡を通過し、ウラジオに帰港することとなった。

浅野和三郎は言う。
「もしこの時、秋山参謀の建策、いや神示が用いられていたら、上村艦隊は、その後の蔚山沖の海戦を待たずに、ウラジオ艦隊を撃滅して国民の溜飲を下げえたであろう」(浅野和三郎『冬籠』)

秋山参謀の霊的体験は、これだけにとどまらなかった。
次に挙げる実話は、日本国民にとって極めて重要であり、本来ならば文部省検定の教科書に載せてもおかしくないくらいの話である。

秋山参謀が極限状況の中で体験したこの“霊示”がなかったら、日露戦争の戦況は、その後どう展開したかわからない。

2.夢で見たバルチック艦隊の隊列と航路
舞台は、同じく日本海海戦の時である。バルチック艦隊との決戦が迫りつつあった。
日本艦隊は、根拠地を鎮海(ちんかい)に置いて、敵が現れるのを今や遅しと待ち構えていた。対馬海峡に出てくれるなら有り難いが、万が一、太平洋を迂回し、津軽海峡を通過してウラジオに入られては、大変なことになる。司令部の心痛苦慮は並大抵のものではなかった。

5月20日を過ぎてからは、心身の緊張は頂点に達した。秋山は、何日かにわたり着の身、着のままで、ゴロ寝を続け、真に寝食を忘れて懸命に作戦の画策にふけった。

「忘れもせぬ、5月24日の夜中でした」
秋山は当時を追憶しつつ、浅野に話しを続けた。

「あまり疲れたものですから、私は士官室に行って椅子に体を投げました。他の人たちは皆眠ってしまって、室内には私一人だけしかいません。眼をつぶっていろいろ考えているうちに、つい、うとうととしたかと思うと、私の目の中の色が変わってきました。

そして対馬海峡の全景が眼前に展開し、バルチック艦隊が二列になって、ゆっくり来るのが、ハッキリと見えるのです。しめた!と思った瞬間、私はハッと正気に返ってしまいました。

しかし、このような霊夢を見たのは、これで二度目なので、私はただちに、これは確かに神の啓示だと直感しました。そして、これでもう大丈夫だ!バルチック艦隊は二列を作って必ず対馬海峡に突っ込んでくる。これに対抗するのに、第一段はこう、第二段はこう、と例の私の七段構えの計画がスラスラと出来上がったのです。

いよいよ27日の未明となって、ご承知のとおり、信濃丸からの無電で敵艦隊の接近したことがわかり、結局、あの大海戦という段取りになったのですが、驚いたことには、敵の艦隊の配列は、三日前に霊夢で見たのと寸分の相違もありません。ひと目それを見た時、私は嬉しいやら、不思議やら、ありがたいやら、実になんとも言えぬ気持ちでした、

とにかく私には日露戦役中に二度までも、こういう不思議なことがありましたので、いざ戦報を書こうと筆を取った時には、自然と“天佑と神助により・・・・”と書き出さないわけにはいかなかったのです。私は実際、そう信じていたので、けっしておまけでも形容でもなかったのです」(前出『冬籠』)

日本海海戦の檜舞台(ひのきぶたい)の花形役者から、直接に、初めて重大な打ち明け話を聞かされたのだから、実に面白かったと浅野は書いている。

私心を捨てて己を無にし、ひたすら国のためを思って命を削る至誠の精神と行動に、神霊が感応し給うたのであろう。こういう事実を知ると、日本はやはり「神の国」であるという思いが、改めて湧いてくる。

(以上)



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