吉田利子訳「人生の扉を開く万能の鍵」より。
人間の身体とその構造、それに成熟にかかる時間を研究して、さまざまなど動物の寿命と比較すると、人間の本来の寿命は、わたしたちが現在考えているのと違って120歳に近いと推定できると専門家はいう。
だが身の回りを見れば、大勢の人々の身体は、(本来の寿命でいえば)長く強壮な中年生活に達するよりも前に衰え、壊れていく。だから寿命は縮まる。
わたしたちは人間の寿命を本来より身近いと信じ込む。その結果、ある年齢に近づくと、一般にその年齢の人たちには老いの兆候が表れ、盛りを超えて下り坂にさしかかっているという感じがして、もちろん自分も同じだと信じてしまう。
その心の姿勢が、老いが必然的に訪れるより何倍も先に老いをもたらす。身体をつくり上げ、さらにつくり替えるうえで、心は精妙で巨大な影響力を持っている。わたしたちの理解が進めば、二度目の世紀の10代を楽しみに迎えるようになるかもしれない。
そこで思い出したのだが、知り合いに80代の女性がいる。彼女を老女と呼ぶ人もいるかもしれない。いや、その人が生まれてから経て来た四季の数で年齢を数える人なら、ほとんどの人がそう呼ぶだろう。だが、彼女を老女と呼ぶのは白を黒というようなものだ。
彼女は25歳の女性と比べても老けてはいない。うれしいことにというか、見方によっては残念なことに、その年齢の女性に比べても若々しいくらいだ。
彼女はすべての人やものごとに善を見るから、いたるところに善に出合う。相変わらず気質も声も明るいので、誰もが彼女に魅力を感じる。いつでも誰の目にも美しく魅力的に映る、それが彼女の特質だった。そして触れ合う何百人何千人の人々に明るさと希望と勇気と力を与えてきたし、これからも長いあいだ与え続けるだろう。
不安も心配も、憎しみも嫉妬も、悲しみも恨みも、利得やものごとにこだわるあさましさも、彼女の思考の世界にはいっさい入り込まなかった。その結果、彼女の心はこういた異常な状態や条件とは一切無縁で、多くの人々のような肉体的な病としてあらわれることもない。
大勢の人たちは肝心なことに気づいていないから、そのような病を自然だと考え、「ものごとの永遠の仕組み」のせいで病気になると思っている。
彼女を眺めるのはとても楽しい。最近も通りで彼女を見かけた。彼女は立ち止まって遊んでいる子どもたちに交じり、それから少し足を速めて洗濯ものの山を抱えた洗濯女と言葉を交わし、弁当箱を持って帰ってくる労働者と立ち話をし、車から声をかけた女性に挨拶を返していた。そうやって自分の豊かな人生を行き合う人々に分かち与えているのだ。
(続く)
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