次の教会の火事の話は、アメリカの雑誌「ライフ」(1950年3月27日号)で紹介された話です。
1950年3月1日、午後7時20分、アメリカのネブラスカ州のペアトリスという町のある教会で、聖歌隊の練習が始まろうとしていた。15人からなるこの教会の聖歌隊は、決まってこの時間に全員が集まり、練習を行っていたのである。
7時25分、教会はガス漏れのために大爆発を起こした。
近所の人達は一斉に教会に集まり、「生存者はまずいないだろう」と嘆き号泣した。
しかし、この夜は、いつもは極めて時間に厳格であり、聖歌隊が結成されて以来2年間、遅刻する人が一人もいなかったのに、この日に限ってメンバー全員が、そろいもそろって遅刻したのである。
では15名の隊員達は、なぜ定時に集合しなかったのかであるが、実は、それぞれが全くバラバラの事情で、たまたま出掛けるのが遅くなっただけであった。
http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kakurega-10unmei-1.htm
�\参梁發離蝓璽澄写鬚離沺璽機Ε檗璽襪気鵑函△修量爾離泪螢螢鵝Ε檗璽襪気鵑蓮△い弔發�7時15分ごろまでに協会に着いていた。しかしこの日だけは、なぜか親子そろってうたた寝をしてしまい、目が覚めたときは7時15分になっていたという。しかも、あわてて出かける段になって、マリリンさんの服が汚れているのに気づき、着がえていたので、いつもより20分以上、家を遅く出ることになったのである。 (2人が助かった)
�� 高校生のレダーナ・バンデクリフトさんは、練習の前に数学の宿題に取り組んでいたのだが、難しくて時間がかかり、ふと気がついたときには、練習に遅刻しそうになっていた。いつもまじめで遅刻などしたことのない彼女だったが、なぜかその日は、『宿題を終えてから行こう』という気になった。(1人が助かった)
�� 近所に住む同級生のロイエナ・エステスさんと、妹のサディは、自分の家の車が故障したため、レナーダさんの家の車にいっしょに乗せて行ってもらうことになっていたので、レナーダさんの遅刻のしわ寄せで自分たちも遅刻した。(2人が助かった)
�� 高校生のルシール・ジョーンズさんは、ラジオ番組を聞いているうち、どうしても最後まで聞きたくなり、『今日だけなら遅刻しても‥‥‥‥ 』という気になった。いつもルーシーさんといっしょに教会に出掛ける友人のドロシー・ウッドさんは、やはり彼女につきあって遅刻することになった。(2人が助かった)
�� 速記タイピストのジョイス・ブラックさんは、何となく体がだるく、なかなか腰を上げる気になれなかった。やっと立ち上がって家を出ようとしたとき、すぐ近所にあった教会が爆発したのである。(1人が助かった)
�� 旋盤工のハーバード・ケプトさんは、教会に提出するレポートを書いていて、思ったより時間がかかったため遅刻した。(1人が助かった)
�� ウォルター・クレンプル牧師は、自分の腕時計が遅れていることに気づかず、予定通りに家を出たつもりで遅刻した。(1人が助かった)
�� 機械工のハービー・アールさんは、妻が留守のため、幼い息子たちを教会へいっしょに連れて行こうとしていたのだが、ぐずる子供たちの支度に手間取り遅くなった。(1人が助かった)
このほかの4人を含め、結局全員が幸運にも爆発が起こった後で教会に到着したのである。
時間のルーズな人ばかりならともかく、真面目で几帳面な人ばかりで、とくにリーダーのマーさ・ポールさんが時間にやかましく、聖歌隊員が練習のある日はいつも、7時20分に全員が教会に集まっていたのです。
今回の遅刻は、遅刻はもちろん申し合わせたものなどではない。それぞれ些細で個人的な理由バラバラでしたが、ただ、次のようなフトしたこと、
「なぜか・・・だった」「気がついたら」「気づき」「なぜかその日に」「どうしても・・・という気持ちになった」「何となく・・・気になれなかった」「思ったより・・・だった」
「・・・に気づかず」が、ほぼ全員の人の遅刻の理由になったのでした。
何か人智を超えた導きの力が働いたとしか思えない出来事だと思います。
インターネットでも紹介されていますが、この不思議について次のように解説しています。
http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kakurega-10unmei-1.htm
果たして人には、「運命」や「宿命」といったものがあるのでしょうか。
あるとしたら、それはどのようのものなのでしょう。
一定の考察を辿ったときに、どうやらそれは確かに存在すると考えられるのです。
このようなあまりにも不思議な出来事が、教会の聖歌隊の人たちに起きたために、まさしく「神の御業」であるということになったようです。確かにこれは、そのように言う以外に、説明のつけようがない出来事です。
しかし、この出来事は、次のように考えることが可能です。つまり、彼ら15人はこの時には、まだ死ぬべき「運命」には無かったと。
そして、彼らを死の危険にさらさないような、何等かの「機能」があちら側の世界で働いたためであると。
ですからその時に生じた現象というのは、「偶然の一致」という現象ではなく、それぞれの人達に、本来の「運命」をまっとうさせるために「機能」した何らかの ”力” であったということになります。それがたまたま15人も集まってしまったために、「神の奇跡」になってしまったのです。
このように考えると、敢えて「神」というものを持ち出さなくても、なんとか説明がつけられるように思うわけです。勿論、そのような「機能」を働かせたところに、「神」というものの存在を想定するのは、その人の自由です。
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