以下、樋野興夫「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」より。
お節介には二種類あります。いいお節介と悪いお節介です。悪いお節介は、いわゆる「いらぬお節介」です。いいお節介は、そのままだとユーモアに欠けるのでこう呼んでいます。
偉大なるお節介
偉大なるお節介は何かといえば、たとえば、がん哲学外来がそうです。
これまでにたくさんの人から「がん哲学外来とは簡単にいうと何でしょうか?」と聞かれました。私の答えは「一言でいうと“偉大なるお節介”です」。
すると今度は決まってこう尋ねられます。「なぜやろうと思ったのですか?」。
「暇だから」です。
私は今の医療に決定的に足りないものが二つあると考えています。
一つが本来のテーマである「偉大なるお節介」、もう一つは「暇げな風貌」です。この2点を実現するために始めたのが「がん哲学外来」なのです。
がん哲学外来では、暇げな風貌で、患者さんたちに偉大なお節介をしています。
それでは余計なお節介と偉大なるお節介、一番の違いは何か?
余計な偉大なるお節介は自分の気持ちで相手に接し(押し付け)ているのに対し、偉大なるお節介では相手の気持ちに寄り添い、相手が必要としていることをサポートしています。ちょっとした違いに思えるかもしれませんが、お節介をされる方にとってみると大きな違いです。
手術後、食欲のない患者さんに、丹精込めた手料理をつくって、「あなた、少しでも食べましょう。食べて早くよくなってください」と励ます妻。
黙ってそばにいるだけでいいのに、「今日はどうだ?」「どこか痛いところはないか」「早く治して、二人で旅行に行こう」「がんばれ、がんばれ」と入院中の妻をしきりに励ます夫。気持ちはわかりますが、本当に相手のためになっていますか。押し付けになってはいないでしょうか?
全国にあるがん哲学外来カフェには、自らもがんに患ったスタッフが大勢います。そのうちの一人の男性は自身のことを次のように語っていました。
「私自身、がんが再発して楽観できる状態ではないのに、ここに来て患者さんたちのお世話をしている。自分でも思いますよ。物好きなお節介だなって」。
彼に限らず、困っている人が、自分より困っている人を助けようとする。これぞ偉大なるお節介といえましょう。世の中に、彼のような偉大なるお節介者が増えてくれればいまよりずっと生きやすい社会になるでしょう。
以下は、樋野興夫「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」のアマゾン書評です。
メスも薬も使わず、3000人以上のがん患者と家族に生きる希望を与えた「がん哲学外来」創始者の心揺さぶる言葉の処方箋です。
がんになると、多くの人が自らの「死」を意識し始めます。そしてそのうちの約3割の方がうつ的な症状を呈します。がんになったことで生きる希望を失ったり、生きる意味が見出せなくなったりし、うつ的な状態に陥ってしまうのです。
うつ的な症状を解消するには、患者さんの思考そのものを前向きなものに変えてあげる必要があります。そのきっかけとなるのが言葉の処方箋であり、人間の根源に触れる問いかけです。
生きていれば、嫌なことやつらいことや困ったことの一つや二つはあるでしょうし、病気にはなっていなくてもそれよりも大変な出来事に直面することだってあるでしょう。
そのようなとき、本書で紹介している言葉の処方箋を思い出してください。生きるとは何か。自分の使命とは何か。そうしたことを考えさせてくれる書です。
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