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2016年10月25日10:46

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菜根譚「耐えることは成功の基である」

<現代語訳>
いにしえの言葉に「山に登る時は、険しい斜面に耐え、雪道では、雪が積もっている危険な橋(に耐えて歩きなさい」と。
耐えるという事は大変大きな意味がある。
偏見に満ちた人情や不遇な境遇でも、もし耐えるという一字を継続できければ、どれだけ多くの者が藪や穴や堀に落ちないですみことか。


<書き下し分>
語に云う、「山に登りては側路に耐え、雪を踏んでは危橋に耐う」。一の耐の字、極めて意味有り。傾険の人情、坎坷(かんか)の世道の如きも、もし一の耐の字を得て、撑持(とうじ)し過ぎ去らずば、いかんぞ榛莾坑塹(しんぼうこうざん)に堕入(だにゅう)せざらんや。
・・・・前集179

〇側路・・傾いた険しい道
〇危橋・・当時は欄干が無く滑ると川に落ちた
〇傾険・・けわしい
〇坎坷・・道がでこぼこして歩きにくい
〇撑持・・支えること
〇榛莾・・やぶ
〇坑塹・・穴と堀

<解説>
人生では、どうしても「耐」の精神をもって生きなければならないことがある。そのような場面を乗り切れるかどうかは、その人が生涯の目標を持っているか否かによることが大きいだろう。

あの韓信が無頼漢に侮辱されても怒らず、その股の下をくぐらされ、衆人から臆病者と嘲笑されても平然として耐えたのは、秦の末期、動乱の世で、天下を制覇するという大目標を堅持していたからである。

木村重成が茶坊主に殴られても、その無法をとがめず逆に謝罪して恥を忍んだのは、大坂落城を目前にして、多年にわたる豊臣家の恩顧に報いるために、決死の勇戦をしようという目標をもつが故の「ならぬ堪忍するが堪忍」であった。だからこそ重成は、所期のとおりに華々しい戦死をとげ、忠勇の名を後世に残したのである。

また、「耐」といえば、すぐ念頭に浮かぶのは徳川家康である。若き日の人質生活の屈辱に耐えぬいた家康は、ついに天下人になり、徳川三百年の基礎をきずいたのである。

「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」とは、家康のなみなみならぬ「耐」から生まれた名言である。

以上、野口定男「菜根譚」を参考にしました。





つまり、どんな状態でも夢と希望と忍耐こそが成功の秘訣ということ覚えておきなさい。



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