<本文>
人の際遇(さいぐう)は、斉(さい)なる有り、斉ならざる有り、而してよく己れをして独り斉ならしめんや。
己れの情理は、順なる有り、順ならざるあり、而してよく人をしてみな順ならしめんや。
此れを以って相観し対治すれば、またこれ一の方便の法門なり。・・・菜根譚前集53
<現代語訳1>
人の身の上をみれば、満たされている人もあれば、満たされていない人もあるので、どうして自分だけが幸せで良いものだろうか。
自分の思いが上手く実現する場合もあれば、そうでない場合もあるのに、どうして人の思いだけが上手くいっていいものだろうか。
それらの関係をよく考えて対応するのも一つの方便なのだ。
つまり、何事にもバランスをとることが大切だということ。・・・インターネットより。
<現代語訳2>
人の身の上について見ると、たとえば、財産も地位も健康も子孫も、一切がそろっている者もあり、そろっていない者もある。それなのに、自分だけに何から何までそろっていることを望めようか。
また、自分の精神状態について考えてみると、道理にかなっている場合もあり、かなっていない場合もある。それなのに、人に対してだけ、常に道理にかなうことを望めようか。
以上のことから、自他について相対的に観察して、その関係を釣り合いのとれるように処理していくのも、処世上の一つの便宜的な方法である。・・・野口定男より。
<解説>
「天、二物を与えず」という言葉があるが、聡明な人は身体が弱かったり、権勢家には一族の争いが絶えなかったりするのは、むしろ世で普通のことであろう。まして、地位もあれば、財産もあり、そのうえ、健康で、家庭的に恵まれているというような、何から何まで不足のない人は、きわめて少数だろう。
このことがわかれば、自分に欠けているものがあっても、いたずらに人を羨んでみたり、ひがんで人と摩擦をおこして、自他ともに不快になったりすることはなくなる。たとえば、頭の回転が悪いために人より仕事がおそくても、その分は体力でカバーして追いつくというように、自分にあるものを活用することによって、希望をもって生活するようになるだろう。
また、自分の言動は常に道理にかなっているわけではない。それなのに、人に対してだけ、常に道理にかなった言動を要求するのは酷であり、思い上がりである。人に対して厳しくすることは、必ずしも悪いことではないが、この点を考えて、あまり厳しくしないのも、おだやかに人と交際する一法だろう。
人の言動が常に道理にかなっているわけではないのだから、自分も道理にかなわない言動をしてもいいのだと考えたら、それは大変な間違いである。そんなふうに自分を甘やかしてしまったら、自分自身の充実も進歩もなくなってしまう。自分にあくまでも厳しく、そして、人に対してはあまり厳しくはしない、これが正常の処世の法であろう。
以上、野口定男「菜根譚」を参考にしました。
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