木村 秋則、荒了寛「リンゴの心」(佼成出版社)より。
その一人は、無農薬・無肥料でリンゴ栽培に取り組み続けた、弘前の農家・木村秋則さんです。以下、「やすらぎ通信 2009年夏・秋号」(ユーキャン出版事業部)の記事です。
タヌキの恩返し
弘前のリンゴ農家に生まれた私は、実業高校を卒業後、神奈川県のある会社に就職しました。しかし、父の「家業を手伝ってほしい」という言葉で弘前に帰りました。
私はアメリカで行われているような大型トラクターを使った効率的な農業にあこがれていたので、リンゴのほかにトウモロコシも手掛けてみることにしました。
ところが収穫直前の畑にタヌキが現れて、次々とトウモロコシをかじってしまいました。
そこで、畑に虎鋏(とらばさみ)を仕掛けると、翌朝、子ダヌキが掛っていました。
懲らしめようと近づいた私の前に親ダヌキが出てきて、あたかも「子供を助けてください」と言うように、逃げないのです。かわいそうになって子ダヌキを逃がしてやりました。
それからは全くタヌキの被害はぴったりと止んだのです。
それまで効率ばかり優先してきた私でしたが、そのことがあってから、自然界は効率だけで成り立っているのではない、共に生きていく道もあるのではないかと考えるようになりました。
1個の収穫もないリンゴ農家
そもそもリンゴは甘く大きくするために長年にわたって品種改善を重ねてきた果物なので、病気に弱く、農薬や肥料を使わずに栽培することは不可能だといわれていました。
ですから、私も当然のこととして、リンゴを守るために年に13回農薬を散布していたのです。
ところが女房は農薬に弱い性質らしく、散布のあとには肌の弱いところが水ぶくれになり、ひどいときには、1週間も畑に出られません。
そのころ、たまたま、農薬も肥料も使わない栽培法を書いた「自然農法」という本に出合いました。
その本にはリンゴの栽培法は書かれていませんでしたが、私はリンゴも無農薬・無肥料での栽培ができるのではないかと思い、実行してみることにしたのです。
まず、4ヵ所にあるリンゴ畑に1回、3回、5回と、それぞれ農薬の散布数を変えて栽培ができるのではないかと思い、実験してみることにしたのです。
すると、1回しか散布しなかった畑でも、それなりの収穫が得られたのです。
そこで翌年はいよいよ、無農薬を試みました。
5月に花を咲かせるまでは順調に育っていたリンゴの木に、6月末ころから異変が起こりました。
葉が落ち始め、8月末には1枚の葉もなくなってしまったのです。そして葉の落ちた状態にリンゴの木が勘違いをしたのか、9月には2度目の花が咲いてしまった。
これまで見たことがないような異様な光景に、私はぞっとしました。
本来ならば来年咲く花が咲いてしまったのですから、来春はもう花が咲かない、ということは、リンゴは実らず、収入も見込めません。
けれども私はそこであきらめきれなかった。
私が無農薬・無肥料にこだわったのは、そのときリンゴ畑の脇で同じように育てていたほかの野菜や果物はしっかりと成長し、見事に収穫できたからです。
それならばリンゴも必ず実るはずだと信じ続けました。
そして、農薬の代わりにリンゴを守ってくれるものを探そうとニンニクをすりおろしたものや酢などさまざまなものを薄めて散布したり、毎年新しい工夫を試みたのです。
しかし、害虫が増えるばかりで、結局、何をやってもうまくいかず、リンゴに花を咲かせることはできませんでした。
はじめは応援してくれていた隣近所の人からも「あいつは変わり者だ」と白い目で見られるようになり、あいさつをしても返事をしてくれなくなりました。
しかも現金収入がないので生活は苦しくなるばかりです。トウモロコシ畑を手放し、ついには、3人の娘たちの学資も満足に払えなくなってしまった。
精神的にも経済的にも追い詰められた私は、「家族や親戚に申し訳ない」と、首をくくろうと岩木山に向かいました。
山の中でリンゴの木に出合う
死を決した私が死に場所を求めて山の中をさまよっていると、1本のリンゴの木が目に飛び込んできました。その木は山の中で葉を青々と茂らせている。
私の畑の木とはあまりにも違っている姿を見て私はハッとしました。
「これが答えだ!!」。
よく見るとリンゴの木に見えたのは錯覚で、それはドングリの木でしたが、なぜか私はこの山の状態をそのまま畑で再現できたら、きっとうまくいくと確信し、死ぬことを思い止まることができました。
早速、山の土と私の畑の土を調べてみると、違いが3点ありました。
まず、土の温度。山の土は50センチほど掘ってもほとんど変わりませんが、
畑は2、30センチのところで急に温度が下がります。
それから土の柔らかさ。山のはふかふかしていましたが、畑の土は固いのです。
そして、匂い。山の土はツーンと鼻にくる独特の匂いがあったけれど、畑のものは無臭でした。
この3点を改善するために、私は下草に目を向けました。
「誰も手入れしていない山の木の根元には雑草が生い茂っている。ここにヒントがあるのでは」。
それからはリンゴの木の下の草は刈らないことにしました。
私は祈るような気持で「苦しいだろうけど耐えてくれ」とリンゴの木1本1本に声を掛けて歩いたのです。
やがて少しずつリンゴの木の状態は回復していき、無農薬栽培を始めてから8年目、とうとう1本の木に7個の花が咲き、リンゴが2個だけ実りました。
ゴルフボールくらいの小さなリンゴでしたが、収穫したときの気持ちはとても言葉では表わせないほどでした。
そして翌春、隣の人が「花が咲いてるぞ!」と教えてくれました。
半信半疑で女房と二人で畑に行くと、リンゴの花が一面に咲き畑が白く輝いているではありませんか。
女房と二人でただ涙しながら、しばらくは動くこともできませんでした。
それから少しずつ収穫量も増えていき、私のリンゴを「歯ごたえがしっかりしていておいしい」と言って購入してくれる人も多くなりました。
私がこのようなリンゴ栽培を始めてから30年が経とうとしています。その間に気づいたのは「農業のお手本はすべて自然界にある」ということです。
私がどんなに頑張っても、私の手足からリンゴを実らせることはできません。リンゴを実らせるのはリンゴの木の力。いわば私はリンゴの木のお手伝いをしているだけです。
無農薬栽培を始めたころ、私はリンゴの木をむりやりコントロールしようとしましたが、その結果、1個のリンゴさえ実らせることはできなかった。山の土や雑草に教えられ、それを手本にしたからこそ、ここまでやってこられたのだと思います。
健体健心
よく、「水がきれいなところには犯罪が少ない」といわれますが、それはきちんとした食生活をしている人は心が穏やかになるということではないでしょうか。
もちろん、農薬や肥料がすべて悪いわけではありません。しかし、使用量を減らしていく努力も必要だと思います
ひと昔前に比べると、自然環境を守ろうとする意識も高まり、私の栽培法に関心を示す農家も増えてきました。今後、もっと多くの人が無農薬・無肥料の栽培を始めれば、さらなる工夫も生まれてくるでしょう。
そしていつの日か、農薬や肥料を使わない作物が当たり前のように店頭に並ぶ日もくるのではないかと思います。
そこに本当の「食の安全」が生れ、みんなが心やすらかに暮らしていけるのではないでしょうか。
江戸時代には健康のことを「健体健心」といっていたそうです。つまり、体と心の両方が整うことで初めて元気になれるのです。農業を通してそんな世の中を構築することを私は夢見ています。
ログインしてコメントを確認・投稿する