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2016年09月08日10:43

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多感覚型人間と五感型人間



ゲリー・ズーカフ「魂との対話」より。

多感覚型人間と五感型人間

多感覚型人間がもっている中心的な認識のひとつに、「自分は孤独ではない」というものがある。彼らは、ほかの進歩した知性との意識的なコミュニケーションを行なえる。

多感覚型人間は、どんな状況に直面したときにも、より妥当な選択を可能にしてくれる、思いやりに満ちた非個人的な援助を意識的に利用することができる、という意味である。

五感型人間も、もちろん孤独ではない。しかし、五感型人間は、つねに自分に与えられているこの援助に気づいていないために、それを意識的に利用することができないでいる。
 
五感型人間は、ほとんどのことを自身の物理的体験を通じて学ばなくてはならない。そして、その学習にはひどく時間がかかる。なぜならば、そのようにして学ばれる知識は、密度の高い物質空間を通じてもたらされるものであるからだ。
 
たとえば、他人を信じようとしない人たちは、不愉快な苦悩に満ちた状況を、それが彼らを信頼という問題に連れていってくれるまで、ずっと創造しつづけることになる。彼らがその問題に行き着くまでには、五つのつらい出来事、あるいは五つのつらい人生、あるいは五十のつらい人生さえ必要になるかもしれない。しかし彼らも、最終的にはその問題に行き着き、その貴重な課題をクリアすることになる。

思いやりと調和しないあらゆる性格的特徴が、これと同じ力学を発生させる。たとえば、怒りっぽいパーソナリティーは、それ自身の怒りが最終的に、それ自身の思いやりと愛、すなわち、それ自身の魂のエネルギーを遮断するものとして直視され、排除されるときまで、不愉快な、あるいは悲劇的でさえある状況を創造しつづけることだろう。

貪欲なパーソナリティー、身勝手なパーソナリティー、ずる賢いパーソナリティーの人生のなかでも、まったく同じ力学が働くことになる、そしてそれが、私たちのこれまでの進化法だった。

多感覚型人間は、五感型人間よりもずっと速く学ぶことができる。多感覚型人間は自分が手にするさまざまな体験の意味、すなわちそれらがどんな理由で、どのようにして発生し、自分はそれにどのようにかかわっているのかといったことを、より速やかに理解することができる。

五感型人間は、あらゆる衝動や洞察を自分自身のもの、つまり自分の心のなかで発生するものだと考えている。しかし多感覚型人間は、必ずしもそうでないことを知っている。  
私たちはこれまで、種としての起源以来、進化の道の上で、衝動やひらめき、突然の洞察などの形でもたらされる支援を数限りなく受けてきた。その種の導きに私たちが気づいてこなかったのは、現実を五感のみを通して見ていたからである。五感的観点からすれば、洞察や直観、ひらめきといったものが発生する場所は、心以外には考えられない。
 
しかし、多感覚的な観点からすれば、それらは自身の魂からの、あるいは自身の魂の進化の旅を支援する進歩した知性群からのメッセージなのである。

多感覚型パーソナリティーにとっての直感は深い理解と思いやりに満ちた視野をもつ存在との接点であり、それらからのメッセージである。

五感型パーソナリティーにとって、直感的洞察、あるいはひらめきは、発生が予測できないものであり、信頼しえないものである。いっぽう多感覚型パーソナリティーにとってそれは、意識的に知覚した、自身の成長を常に応援してくれている、思いやりに満ちた導きである。そのため多感覚型パーソナリティーは、つねに、その導きに対する感受性の向上に努めている。

あなたが導きを求めれば、それは与えられる。たとえば「自分はどうしてこんな気分になるのだろう」と自問したとき、宇宙に「私にそれがわかるように援助してください」とお願いしたことになる。そして、その援助は必ずもたらされる。


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