ゲリー・ズーカフ「魂との対話」より。
魂はけっして裁かない
畏敬の念をもとうと決意することは、もっと霊的な人間、つまりハイレベルの精神性をもつ人間になろうと決意することである。
畏敬の念とともに生きるということは、「それには生命が宿っている。あれもそうだ。危害を加えたりはしないようにしよう」、あるいは「あの人たちは同じ人間ではないか。傷つけたり、殺したりしては絶対にいけない」と意欲的に言い、その言葉に忠実でありつづけることである。
畏敬の念をもつ人間はどのような形をした、どのような活動をする生命をも賛美する。
畏敬の念は、「裁くことのない正義」を推奨する。魂は決して裁かない。
畏敬の念をもつ人間は、自分はほかの誰かより、あるいはほかの何かよりすぐれている、などとは、けっして考えない。あらゆる形の生命のなかに神性を見、それを畏れ敬っているからだ。
畏敬の念をもたないとき、私たちの行いは野蛮であり破壊的である。畏敬の念をもつことで、私たちの行いは思いやりとやさしさに満ちてくる。私たちは、遅かれ早かれ、生命のすべてを畏れ敬うことになっている。私たちに選択できるのは、それを行いはじめる時期と、そこにいたる学習の過程で手にすることになる体験の質のみである。
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