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2016年08月13日10:33

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「魂との対話」(あらゆる魂が、いずれは光に包まれる)


ゲーリー・ズーカフ「魂との対話」は、全米で300万部を超えた驚異的なロング・ベストセラーです。私たちは、なぜ生きているのか? 魂とは、いったい何なのか? とあらためて深く考えさせてくれます。以下、適宜抜粋しながらまとめました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen49.html#

あらゆる魂が、いずれは光に包まれる 

まず第一に、悪をどのようなものとして理解するかが、私たちにとって、とても大切なことである。悪は、それとして正しく理解されなくてはならない。悪とは、光の不在によって引き起こされる力である。悪というものを、光が存在しない状態として理解することで、私たちは自動的に光と呼ばれるものに目を向けることになる。
 
「悪とは光の不在である」ということを理解したら、次に私たちはどうしたらいいのだろう? 悪に対して、私たちはどんな反応をしめすべきなのだろう?

「不在」の治療は「存在」をもって行なうべきである。悪は光の不在であり、光の不在によっては癒されない。もしあなたが、悪あるいは悪に手を染めた人間を憎んだとしたら、そのときあなたは、光の存在ではなく、その不在に手を貸したことになる。悪を憎んだところで、悪はけっして消滅することがない。それどころか、それによって悪は強化されるのである。
 
悪を憎むことの影響は、憎まれた人間ではなく、憎んだ人間に及ぶのである。憎んだ人間は憎しみに満ちた人間となり、光から遠ざかる。
 
悪を光の不在として理解したからといって、消極的な生き方をすべきだ、あるいは、邪悪な行為を見ても無視すべきだということには、けっしてならない。あなたは、たとえば虐待されている子どもを見たとき、あるいは苦しめられている人々を見たときに、その子を守るために、あるいはそれらの人々を助けるべく、可能なかぎりのことを行なってあげるべきである。
 
しかしながら、そのときにもし、あなたのハートのなかに被害者に対する思いやりだけでなく加害者に対する思いやりも存在していなかったとしたら、あなたも彼らと変わりない人間になってしまう。
 
悪を光の不在だとする認識は、パワーを外側のものだとする認識に真っ向から挑戦するものでもある。存在しないものが打ち負かされたりできるものであろうか? 悪人が逮捕されることはある。しかし悪そのものは、逮捕されたりできるだろうか? 邪悪なグループが投獄されることはある。しかし邪悪そのものは。投獄されたりできるだろうか?

思いやりに満ちたハートは、悪に対してどんな軍隊よりも効果的である。軍隊はほかの軍隊とはかかわれるが、悪とはかかわれない。思いやりに満ちたハートは、悪と直接かかわれる。それは、光が存在しない場所に光をもち込める。

悪を光の不在として認識したときから、あなたはきわめて自然に、自分のあらゆる決断を、「これは自分を光に近づけるものなのだろうか? それとも光から遠ざけるものなのだろうか?」という視点から吟味するようになるだろう。
 
そのときからあなたは、悪いことを行なっている人たちにも、たとえ彼らの行為に異議は唱えたとしても、少なくとも心のなかでは思いやりをしめせるようになるだろう。そしてそれは、とりもなおさず、自分をネガティブなカルマの創造から守ることにほかならない。これが、悪に対する妥当な反応である。 

私たちの進化は、私たちを多感覚的型の人間の体験と真のパワーへと導いていく。そしてそれには、ハートの働きが欠かせない。



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