すべて悪しきことをなさず、善いことを行い自己の心を浄めること、これが諸仏の教えである。
諸悪莫作(しょあくまくさ)諸善奉行(しょぜんぶぎょう)自淨其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶつ)
人としての身を受けることは難しい。正しい教えを聞くのも難しい。諸々の仏の出現したまうことも難しい。
・・・・・(ダンマパダ、真理の言葉)
北川八郎さんは「ブッダのことば」(致知出版)より。
なぜ、悪をなさず、そんなに善だけを目指せというのか。釈尊はいう。
「人がこの世でなす善と悪の両者は、その人の所有するもので有り、人はそれを身につけて、あの世に赴く。それは彼に従うものである。影がその体を離れないように。
それ故に善いことをなし、来世のために功徳を積め、諸々の功徳は、あの来世において人々の拠りどころとなる」
私たちはこの肉体の死をもってすべてが終わるのではない。肉体の感覚だけに生きている時には、目に見えるものや、体験がすべてと思うだろうが、肉体を動かすもう一つの実体があり、それは死のあとも、私たちが次の世界に行くとき実体として存在するよ。それを釈尊はその人の所有するものを身につけて、あの世に赴くという。当という適切な言葉がなかったのだろう。
私たちがなした、善きことも、悪しきことも、心の奥にある魂の記録となって、すべての行いと、想いは私たち個人の歴史フィルムとして、あの世に持参し、次の転生の時、いかなる時代の、どの国のどんな両親のもとに、男か女か、どんな才能を持った若人として再生するかの大事な要素になるよと釈尊はいわれる。
「それ故に、善いことをなし功徳を積め、その功徳は来世においてお前たちの(次の生まれどころ)拠りどころとなる」
この世でしたことは、全部、あの世に持ちこされ、次の転生で善きことも悪しきことも、もう一度、学びなおさなければならない。
光ある内に、光に向かって、輝くために歩もう。
(しょあくまくさ しょぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)と口ずさもう。
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