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2016年07月26日21:32

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ブッダの言葉「食べる行為は“聖なる行為”」



北川八郎氏「ブッダの言葉」(致知出版)より釈尊の言葉です。

釈尊はいう。
一切の生きとし生けるものに対しても、無量の慈(いつく)しみの意(こころ)・・・母のような心・・・を起こすべし。
全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥(ふ)しつつも、眠らないでいる限りはこの慈しみの心をしっかり保て。

さらに続けて、釈尊はいう。「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、長いものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、見えるものでも見えないものでも、遠くに住むものでも近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは幸せであれ」と祈ろうと。そうして、そうした生けるものを口にする時は感謝し、怯える動物の肉を多食しないように気をつけよう。

旨い、やわらかい肉だからといって、必要以上、口にすることを止めよう。なぜなら、どんな生物も人間に食べられたいと思って生まれてくるものはいないし、その生命の人生の途中で死を受けることは、いかなる生物も“無念に違いない”。それを多食することによってガンや糖尿やウイルス性の疫病という形で私たちは苦しむ。他の生物の肉はそれぞれの業を持っており、その業を自分の体に移入することを覚悟して、口にしょう。おいしいだけでで食べてはいけない。珍しく高級だからといって食べてはいけない。食べる行為は“聖なる行為”と知って手を合わせつつ、少なく、少なくいただく方がいい。

さらに釈尊はいう「汚れのない心で、一つの生きものを慈しむならば、それによって善が生じる。生きとし生けるものすべて、心で慈しむならば、多くの功徳を積むことになる」

そうして自分の「肉体の騒ぎ」を治めた人は、「安らいに帰した修行僧の心は静かである。ことばも静かである。身の行いも静かである」と釈尊はいわれる。特別修行僧でなくてもいい。私たち、平凡な人間が、身を慎み、心を慎み、落ち着いて、不安なく静かに生きれば、いつも慈しみの心を抱き、静かな語らいを、毎日の安らいだ気持ちの中で人生を送ることが出来るようになる。



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