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2016年07月18日11:03

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「魂との対話」4.(あなたは永遠に責任から逃れられない)



●あなたは永遠に責任から逃れられない  

あなたのパーソナリティーには、癒される必要のある、あなたの魂の引き裂かれた側面の数々に加えて、あなたの名前の振動的要素、この生涯に於けるあなたと惑星群との関係の振動的要素、あなたのエネルギー環境の振動的要素なども加わってくる。
人生内の不調和の規模は、パーソナリティーが魂からどれほど離れてるか、すなわち、パーソナリティーが創造に関していかに無責任であるかに正比例しているかによる。。

魂が癒されるとは、どういうことなのであろうか?

私たちのほとんどは、「自分の行動のいくつかには責任があるが、そのすべてに責任があるというわけではない」というアイデアに慣れ親しんでいる。たとえば、自分が何かをして周囲の人たちと仲がよくなったときには、それを自分の手柄だと考えるが、結果的に彼らと議論になるような場合には、それは自分のせいではないと考える。

また、まともな仕事で生計を立てているときには、それを自分の功績にするいっぽうで、空き巣狙いで生計を立てているときは、それを恵まれない生い立ちのせいにしたりしてしまう。

あらゆる行動、思考、フィーリングが、意図によって動機づけられている。意図は、何らかの結果と一体となって存在する原因である。もし私たちが何らかの原因にかかわったとしたら、私たちがその結果とかかわらないことは不可能である。このようにきわめて深いレベルで、私たちは、自分のすべての行動、思考、フィーリングに関する責任を負わせられている。
 
私たちは、自分の意図の果実のすべてを、みずから食べなくてはならないのである。よって、自分のさまざまな意図を認識するとともに、どの意図がどんな結果をつくり出すかを整理し、自分がつくり出したい結果につながる意図を選択することは賢いことである。

事実、私たちは子どものころから、そうやって物理的な現実を学んできた。おなかがすいたときには泣けばいいのだということを学習した。私たちはまた、電気ソケットのなかに指を入れたときの結果も学習した。

私たちはこのようにして、物理的現実内での結果を通じて、さまざまな意図とそれらの結果を学んできた。しかし、意図が特定の結果を生み出すこと、そしてその結果がどんなものであるかを学ぶ作業は、それが物理的体験のみを通じてなされねばならないとしたら、きわめて遅々としたものとならざるをえない。

物理的現実内での原因と結果の関係は、物理的現実の範囲を超えて機能している、ある力学を浮き彫りにしている。「カルマの法則」と呼ばれる力学だ。私たち一人ひとりをふくむ、物理学的世界内の万物が、ごかんがた人間が知覚できる範囲を超えた領域をカバーする力学体系の、小さな一部である。

カルマの法則は、非個人的なエネルギー力学である。それにしたがって発生する結果は、個別化したとき、つまりパーソナリティーの観点から体験されたとき、原因である意図のエネルギーが、方向を反転して戻ってきたものとして体験される。パーソナリティーは、作用反作用の法則が描写する非個人的な力学を、そのようにして体験する。

他人を嫌悪する人間は、他人からの嫌悪を体験することになる。他人を愛する人間は、他人からの愛を体験することになる。キリストが「山上の説教」のなかで行なった、「自分が人にしてもらいたいと思うことを、人にしてあげなさい」という教えは、カルマの力学にもとづいた行動指針である。個別化されたカルマの法則は、「あなたは自分が世界に与えたものを、世界から受け取ることになる」といったところだろう。

カルマは道徳的な力学ではない。道徳は人間が創造したものである。宇宙は、けっして裁かない。カルマの法則は、私たちの道徳システムの内のエネルギー・バランスをふくむ、あらゆるエネルギー・バランスを支配している。

結果をまだ生み出していない原因のすべてが、まだ完結していない出来事である。それはアンバランスなエネルギー状態にあり、バランスがとれた状態に向かう過程にある。そしてそのバランスは、必ずしもひとつの生涯のなかでとられるとはかぎらない。あなたの魂のカルマは、それが体験するパーソナリティーの活動によって創造されもすれば、それによって解消する。

一般にパーソナリティーは、それ自身の数あるパーソナリティーのうちの別のパーソナリティーがつくり出した結果を、頻繁に体験する。と同時に、それとは裏腹に、それ自身の生涯のなかでは正されないエネルギーのアンバランスをつくり出したりもする。よって、魂、輪廻転生、およびカルマに関する知識をもたなければ、パーソナリティーは、人生内で発生するさまざまな出来事の重要性や意義、あるいは、それに対する自分の反応の結果を、必ずしも理解できるとはかぎらない。

たとえば、あるパーソナリティーが他人をだましたとしたら、そのときそのパーソナリティーは、「他人にだまされることで正される必要のある、エネルギーのアンバランス」を創造したことになる。そして、もしそれが、そのパーソナリティーの生涯が終わるまでに正されなかったとしたら、同じ魂の別のパーソナリティーが、他人にだまされることを体験することになるだろう。
 
そして、その別のパーソナリティーが、他人にだまされることは過去につくられた原因の結果であるということ、および、その体験によって、ある非個人的なプロセスが完結することになる、ということを理解していなかったとしたら、そのときそのパーソナリティーは、自分の魂の観点からではなく、個人的な観点から反応を示すことになるだろう。
 
そのときそれは、怒り狂い、復讐心をたぎらせるかもしれない。あるいは、ひどく落胆するかもしれない。殴りかかるかもしれないし、世をすねるかもしれないし、悲しみに沈むかもしれない。そして、そういった反応のすべてが、バランスをとられる必要のある別のエネルギー・アンバランス、すなわちカルマを創造することになる。このようにして、いわゆるカルマ的負債が支払われるのと同時に、新しいカルマ的負債が次々とつくられていくのである。



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