<あらすじ>
キリスト教の教義では、霊的世界には、天国と地獄の場所があり、その中間に、煉獄、リンボーがあるとする。
『神との対話』では、霊界には天国のみがあり、場所としての地獄はないという。
地獄は、低級の魂が自分自身で創り出し、経験するものだ。
人間には原罪など無く、悪魔や地獄は存在しない。
1.地獄はあなたがたが空想するような、永遠の業火に焼かれるとか、際限のない苦悶にさいなまれるとか、そういったものではない
地獄はあなたがたが空想するような、永遠の業火に焼かれるとか、際限のない苦悶にさいなまれるとか、そういったものではない。
不幸で、不完全で、欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。あなたがたの魂にとってそれは、地獄だろう。
あなたがた自身が、真の自分ではなくなるとき、自分で地獄の体験を創り出す。
・・・「神との対話1」
キリスト教(カトリック)の教義では、この世(物質的世界)で、悪事を行った人間は、死んでから霊界に存在する地獄に行くといっています。霊界には、天国と悪魔(サタン)が支配する地獄の二極の領域(場所)があるのです。
旧約聖書の創世記第3章には、人間の始祖であるアダム(男)とイヴ(女)の失楽園の物語が書かれています。
アダムとイヴは、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた善悪を知る木の実を、ヘビの誘惑によって食べるという罪を犯して堕落しました。ヘビは堕落して悪魔となり、堕落したアダムとイヴの子孫(すなわち全人類)は、生まれながらにして原罪を負っているというのです。
キリスト教(カトリック)の教義では、天国と地獄の中間には、煉獄、リンボーがあるとされています。
地獄は殺人、盗みなどの大罪を犯した人間が行く、永遠の苦しみを味わう領域で、煉獄は悪事を行っても完璧に罪を悔い改めた場合、罪を清めるために行く領域です。
リンボーは、悪事を行なってはいないが、クリスチャンの洗礼を受けずに死んだ人間が行く領域です。
『神との対話』では、霊界には天国のみがあり、既存の宗教が説くような地獄はないといっています。
地獄は霊界の領域(場所)として存在するものではなく、下位の魂が自分自身で創り出し、経験するものだというのです。
霊界では思考が、即、現実となりますから、魂の成長レベルに合わせた現実が展開されます。成長の低いレベルの魂は、自ら低いレベルの現実を創り出します。その最悪レベルの経験が、地獄の経験なのです。
さらに『神との対話』では、エデンの園の神話の本質は、人間始祖の堕落ではなく、神の「最初の祝福」を表わそうとしているといっています。
人間は魂の乗り物として、人生で神性を体験します。魂の宿った最初の人間は、相対的世界(物質的世界)で、ゼロから神性の体験を始めます。
善悪を知る木の実を食べたということは、相対的世界での様々な経験を選択するという、祝福すべき人生の船出を意味しているというのです。
従って、人間には原罪など無く、悪魔や地獄は存在しないのです。
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