ゲーリー・ズーカフ「魂との対話」より要約します。
物理的現実内での原因と結果の関係は、物理的現実の範囲を超えて機能している。「カルマの法則」と呼ばれている力学だ。
カルマの力学は、物理的現実のなかで「すべての作用が、力に等しい、向きが正反対の作用を伴っている」という法則で、「作用反作用の法則」としても知られている。
カルマの法則は、非個人的なエネルギー力学である。そして、それが個別化されたとき、つまりパーソナルの観点から体験されたとき、原因である意図のエネルギーが、方向が反転して戻ってきたものとして体験される。
他人を嫌悪することは、他人からの嫌悪を体験することになる。他人を愛する人間は、他人からの愛を体験することになる。キリストが「山上の垂訓」のなかで行った、「自分がしてもらいたいことを、人にしてあげなさい」という教えは、カルマの力学にもとづいた行動指針である。個別化されたカルマの法則は、「あなたは自分が世界に与えたものを、世界から受け取ることになる」といったところだろう・。
結果をまだ生み出していない原因のすべてが、まだ完結していない出来事である。それはアンバランスなエネルギー状態にあり、バランスのとれた状態に向かう過程にある。そしてそのバランスは必ずしもひとつの生涯のなかでとられるとはかぎらない。
たとえば、あるパーソナリティーが他人をだましたとしたら、そのときそのパーソナリティーは、「他人にだまされることで正される必要のある、エネルギーのアンバランス」を創造したことになる。そして、もしそれが、そのパーソナリティーの生涯が終わるまでに正されなかったらとしたら、同じ魂の別のパーソナリティーが、他人にだまされることを体験することになるだろう。
そして、その別のパーソナリティーが、他人にだまされることは過去につくられた原因の結果であるということ、および、その体験によって、ある非個人的なプロセスが完結するということになる、ということを理解していなかったとしたら、そのときそのパーソナリティーは、自分の魂の観点からではなく、個人的な観点から反応をしめすことになるだろう。
そのときそれは、怒り狂い、復讐心をたぎらせるかもしれない。あるいは、ひどく落胆するかもしれない。殴りかかるかもしれないし、世をすねるかもしれないし、悲しみに沈むかもしれない。そして、そういった反応のすべてが、バランスのとられる必要のある別のエネルギー・アンバランス、すなわちカルマを創造する。このようにして、いわゆるカルマ的負債が支払われると同時に、新しいカルマを次々と作り出されていくのである。
以下、略。
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