【プログラム】
1 ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
2 ドビュッシー: 夜想曲 〜管弦楽と合唱のための交響的三部作〜
〜〜〜休 憩〜〜〜
3 マーラー: 交響曲 第4番 ト長調
市原 愛(ソプラノ)
札響合唱団(女声合唱9
マックス・ポンマー(指揮)
札幌交響楽団
《ロビー・コンサート》
ドビュッシー: 弦楽四重奏曲ト短調Op.10より第1楽章
大平まゆみ,佐藤郁子(ヴァイオリン)
青木晃一(ヴィオラ)
坪田亮(チェロ)
2016年5月14日(土),14:00〜,札幌コンサートホールKitara
少なくない指揮者がそうであるように,マックス・ポンマーも音楽学者としての一面をもつ。ポンマーはドビュッシーの管弦楽作品の楽譜の校訂を手がけているとのことだ。5月の定期演奏会で取り上げる「牧神の午後への前奏曲」も「夜想曲」も,国内で販売されているポケット・スコアはポンマーが校訂したものだ。ドイツで生まれ育ったドビュッシーのスペシャリストが「牧神の午後への前奏曲」と「夜想曲」をどう演奏するのか興味津々であると同時に,ポンマーがマーラーをどう表現するのかも聴きどころである。
この日の「牧神の午後への前奏曲」も「夜想曲」,やはりドイツ人のドビュッシーだ。霞がたなびく水墨画を想起させる幽玄で神秘性が漂うドビュッシーとはひと味もふた味も違う。ディテールを積み上げるドイツ人らしい律義さが特徴といえる精妙なドビュッシーである。手応えのはっきりした凝集度の高い響きで,曖昧さを微塵も感じさせないドイツ的な明晰さがあふれる演奏である。ドイツ人がドビュッシーの楽譜を忠実にオーケストラのサウンドに移し替えるとこうなるというお手本のような演奏といえる。
もうひとつ特徴をあげると,手慣れたドビュッシーの演奏であることに加え,木管楽器の扱い方が巧妙極まりないことだ。随所に登場する木管のソロをアクセントとして巧くフィーチャーすることで,作品全体に彩りを添える効果を発揮させる。弦楽合奏と木管楽器のサウンドが絶妙にブレンドされ,楽曲の全体的な統一感の点でも申し分のない出来といえる。世界一流のオーケストラの木管セクションと比べると,サウンドの点でもテクニックの点でも聴き劣りするのは止むを得ないとしても,よくぞここまで札響のポテンシャルを引き出したものだと感心する。
マーラーの作品の中でも,ドビュッシーの音楽に最も近いともいえる交響曲第4番でも,ドビュッシーを演奏するときとそっくりそのままの緻密なクオリティーのサウンドである。マーラーの演奏では,作曲者が楽曲に込めた思いやメッセージなどを表現するという点で,ドビュッシーを上回る演奏だったといえる。とにかく,マーラーがこの作品に込めた意味がオーケストラのサウンドとなって,直接響いてくるように感じる。作曲家と同じ文化圏で生まれ育った指揮者の強みを最大限に活かした演奏である。音楽作品がこれほどまでに直接無媒介に届く経験は絶えて久しい。
おそらく,札響にとっても,ドビュッシー以上にマーラーにより深い共感を覚えたのではなかろうか。この国のオーケストラが独墺系の作品や指揮者に馴染んでいる事情もあろうが,マーラーに対するポンマーのより深い理解と精妙なニュアンスの把握がオーケストラにもダイレクトに届いたのであろう。
ただ,残念なことに第4楽章で興ざめしてしまった。率直に言って,市原愛はこの楽曲を歌いこなすだけの力量を持ち合わせていないのではないかという疑念を拭い切れない類の出来だった。音程を取るのが精一杯といった歌いぶり。メロディーラインはブツブツに切れてしまう。第3楽章から第4楽章に移り変わる音楽にあわせて,ステージの袖から厳かに登場する演出が効果満点で歌唱にも大きな期待を抱かせただけに,落胆もより一層大きなものとなった。
以前このホールで,売出し中だったユリアーネ・バンゼのソプラノ,シノーポリ指揮のシュターツカペレ・ドレスデンの演奏でマーラーの交響曲第4番を聴いたことがある。そのときも,第4楽章のソプラノ・ソロに幻滅した。この曲を歌いこなすのは決して容易ではないのだろう。最高の歌手による最高の歌唱を収めた録音と,どちらかというと水物の要素が強いステージとを同列に扱うことに無理があるともいえる。
ポンマーが指揮するドビュッシーとマーラーを聴いて,エリュシカに優るとも劣らないもう一人の名匠を札響が首席指揮者に迎えたことを肌で感じた。ほぼ1年前にシェフに就任したポンマーの指揮で札響の演奏を何度か聴いたが,この指揮者の持ち味が余すところなく発揮された演奏だったと自信を持っていえる。このコンビが録音したディスクの評判が好いのもうなずけるというもの。この5月定期もCDとしてリリースされるらしい。
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