世を渉(わた)るの道は。得失の二字にあり。得(う)べからざるを得ることなかれ。失う可からざるを失うなかれ。此くの如きのみ。
・・・言志耋録124
以下、「超訳・言志四録 佐藤一斉の自分に火をつける言葉」より。
言志耋録124にある上の言葉は冒頭から深い。
まず注目したいのは「渉る」の文字。「歩」のついた「渉」という字に、一斉は、
「人生は一歩、一歩を大切に歩いていくことだよ」という思いを込めているのです。
だから、二、三段飛ばしで、ポンポン階段を上がっていくようではダメ。何か大事なことを端折ることになるので、結果的につまずいたり、転落したりする可能性の高い、非常に危ない人生になってしまいます。
そうではなく、いまの一時一時を大切にする。目の前にやらなければならないことがあるのに、「それは明日 にするよ」とか「あそこ に行ってから考えるよ」というように、先延ばしすることはとにかく好ましくはありません。
「明日 」も「あそこ 」も「いま」ではありませんから、そんなことをしていると、「いま」が仮の人生になってしまいます。
さて、「得失」の二字。まず、「得てはいけないものを得てはいけない」と言っています。「得てはいけないもの」とは何なのか・
これは「虚」のつく言葉をイメージするとわかりやすいでしょう。虚偽、虚飾、虚言、虚名、虚勢、虚栄・・・・。列挙してみれば、実体もしくは中身のないことを表す言葉がズラリ。そんなものを得ても、それこそ「虚しい」だけです。
次に失ってはいけないものを失ってはいけない」とあります。言い換えれば「得るべきものを得なさい」ということです。それは何か。
窮極的には「義」であり、「徳」。人として正しい道を踏むことです。それを失わないよう、「疾(やま)しいことはしない」と心に決めることが大切です。
たとえば、江戸時代の子どもは六歳になると『大学』という書物を読みました。その冒頭に、「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」とあります。
これは、自己の最善を他者に尽くして、相手から、
「よくしていただき、ありがとうございます」
と言っていただく、そういう「感謝の人間関係」を築く大切さを説いた言葉です。
かの松下幸之助さんも言っていました。
「会社にとって利益を存続させることは重要だよ。でも、そればかり考えていると、心が貧しくなる。会社というのは、感謝の人間関係をつくるためにあるんだよ」と。
江戸時代、子供たちの教えたのは、この「明徳」を絶対失ってはいけない。だから、子どもたちに日々繰り返し、「明徳だよ、明徳だよ」と言って聞かせたわけです。
ですから、ここは得なければいけないのは「感謝の人間関係」であり、捨てるべきは「外面を飾るものを欲張って得ようとする心」だと、とらえていただいていいでしょう。世渡りの特質は、このひとことに極まれり、ですね。
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