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2016年03月28日10:02

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(再)結核二期の浮浪児の食べ残しを食べる



神渡良平氏「下座に生きる」(致知出版)に、三上和志さんのことが書いていました。

京都・山科に一燈園という修養団体があります。宗教法人ではなく、人間としての生き方を学ぶ修養団体で、大正10年(1921)、西田天香さんが家々を回り、便所掃除をし、うかつに生きていることをお詫びして生活されたことから始まった集まりです。

天香さんの生き方は、当時京都大学その他の学生だった倉田百三、安部能成、佐古純一郎、山田無文、和辻哲郎などに影響を与え、昭和の精神史を形作ったといえます。

その天香さんに三上和志さんという高弟がいました。
この三上和志さんについて、次のような話があります。

三上さんがある病院に講演に行かれて、話がすんだあとで、院長が言った。
「今日、どこかよそへおまわりですか」「どこへも行きません」
「それではもう一人、話を聞かせたい人がいるから」といって、白いガウンとマスクを持ってきた。

話を聞かせたいのは少年院から預かった18歳の少年で、結核の末期で10日ほどで死ぬのである。三上さんは、マスクもガウンもつけずに行く。
部屋に入ると、少年は向こう向きに寝ていた。

院長が、「具合はどうだい」といっても、知らん顔をしている。どんな少年かと思って、足元からまわって顔を見たら、世にも憎たらしい顔をしていたそうである。

三上さんはこんな顔をした子はふつうに言ったのではだめだと思って、
「おい、どうでぇ」と言った。それでも返事をしない。
「せっかく見舞いに来たんじゃないか。何とか云えよ」
「うるさい」

これはとてもだめだと思って、出口のところまできて、ヒョッとうしろを振り返ったら、少年が、燃えるような眼をしてにらんでいた。三上さんは、これはさびしいんだなと直感した。

そこで院長に
「わたしは今夜ここへ泊まるから」と言って残った。
少年のそばへ行くと、
「おっさん、おまえもものずきやなぁ」
「ものずきでもなんでもいい。おまえはどこで生まれたんや」
「大阪や」
「大阪のどこで生まれた」
「そば屋や」「おっかあは」「死んだ」「おやじは」「知らん」
ずいぶん徹底している。

そば屋の手伝いの女のところへ、大工の手伝いが遊びに来て、子供ができた。それがこの19歳の少年である。母親は、この子を産んで死んだ。若い男はどこかへ行ってしまった。親の名前を知らぬのである。

みなし子になって、戸籍がない。そば屋が戸籍をつくってくれて、12の時に引きとってくれた。

それから、人が食べ残したそばやうどんばかり食べて生きてきた。
「おっさん、人間というもんはよくしたもんや。人の食い残しを食べていても、大きくなるもんや」と言う。

14の時に家出した。それからお寺の縁の下、お宮の縁の下に隠れて、賽銭を盗んで食べていた。

「ところがなぁ、おっさん。この頃お寺は不景気やから、賽銭があまり入っとらん」

それで新興宗教の賽銭箱を狙って、ついに捕まった。
警察で調べているうちに結核の二期だと分かったのですぐに、その病院にまわされたのである。それが1年前で、それからどんどん進行して、もう死ぬ10日前だったという。

三上さんが、
「おまえ、晩飯は」というと、
「今に持ってくる」
「それじゃ、わしが取りに行ってやろう」
賄いのところへ行くと、四角な皿におかゆが入って、紫色に変わった梅干が二つ、たくあんが二きれ。スープはと聞くと、吐くから支給しないと言う。

それを持ってかえって、食べさせようとすると、
「おっさん、いっぺんに食わしたら、俺は吐くぜ」と威張っている。
一口入れたらお茶を飲ませてくれと言う。半分食べて、
「おっさん、もう要らない」と言うので、お膳を引いた。

すると、
「おっさん、おまえの晩飯は」
「わたしは勝手におまえのそばに残っているんだから、晩飯は頂かないとことわってきた」「晩飯はそこにあるじゃないか」

あるのは少年の食い残しである。ギクリとして、
「箸がない」「さじがあるやないか」

結核の患者が死ぬ10日前であるから、さじにも粥にも菌がうようよしている。これを食べねばならぬかと思って、膳をそろそろ引っ張ってきたが、
合掌をしたきり手がしばらくは下りなかった。

とうとう食べる決心をして、一口入れたら、吐きそうになったという。やっと呑み込んで、二口目も吐きそうになった。三口目にやっとのどを通って、おしまいにはうまかったという。

それをじーっと少年が見て、
「おっさん、食べてくれたなぁ」と言った。
「おっさん、俺の食い残しを食ったのはおっさんが二人目や」
三上さんびっくりして、
「一人目は誰や」と聞いた。

一人目は、お寺の縁の下に住んでいる時、九つぐらいの女の子が泣きながら来た。とうふ屋の娘で、継母にいじめられて逃げてきたのである。お腹がすいていると言うので、自分のアンパンを半分わけてやった。

「兄ちゃん、くれるのと云いやがんだ、馬鹿たれが」
やったら、
「兄ちゃん、ありがとうって云いやがるんじゃ、馬鹿たれが」
その子が嬉しそうにむしゃむしゃ食べているのを見たら、かわいそうになって、人にものをあげたことのないこの少年が、あと半分もやったという。
「それを食べたら、お兄ちゃんのがなくなるやないのと言いやがった、馬鹿たれが」

この少年は、嬉しいと馬鹿たれが、と言うのである。
「それで半分やったら、うれしそうに食べやがった。それでなぁ、おっさん、わしの縁の下に泊めるわけゆかんから、とにかく家へ帰させた。そうして一人で縁の下へ戻ってきたらなぁ、おっさん、またひとりやった」

三上さんはたまらなくなった。足でも撫でてやろうと布団をまくったら、臭くて、人間の足のようではなかったそうである。

それをそろそろ撫でていたら、
おっさん、おまえの手は女みたいにやわらかいな」
「ばかなことを言うな。俺の手は男の手や、何がそんなにやわらかいもんか」
「そんなことはない、おっさんの手は女みたいにやわらかい」
「おっさん」
「なんやい」
「おっさんを、おとっつあんと呼んでいいか」

生まれてこのかた、おとっつあんも、お父さんも呼んだことのない子である。三上さんに撫でられている時、しみじみ、お父さんが恋しくなったのであろう。

「よかったら云いなよ、わたしでよかったら返事するぜ」。
「おとっつあん」と言いかけたら、生まれてはじめて言うのである。興奮して、血を吐いたり痰を吐いたりしながら、やっと「おとっつあん」と言った。それから、おとっつあん、おとっつあんの言いづめであった。

夜中に便を5回とったそうである。小便4回と、大便を1回。その大便をとった時、腸が2センチ程外へ出た。それを押し込もうとして、
「紙はないか」「そこにある」と言うから見たら、新聞を切ったのが机の上にある。しかたがないから、それでそうっと押し込んだ。

痛い痛いと泣くので
「なに男がこんなことで泣きおって」と怒った風をして押し込んだ。それでもう、ほんとうにおとっつあんと思えるようになったのであろう。

夜明けが近づいてきた。
「おとっつあん、夜が明けてきたな」
「うん明けてきた」
「もう帰るんじゃろう。おとっつあん、出て行く前に俺に話をしてってくれ」と言った。

それで三上さんが喜んで、こんな話をして。
「おまえは人間がどうして生まれてきたか知っているか」
「そんなことは知ってらぁ、男と女とあったら、子供は生まれらあ」
「そんなんじゃなくて、人間がどうして生まれたか知ってるか」
「知らない」

「人間というものはな、誰かの役に立つために生まれてきたんだ。だから、この世に生まれてきた者は、自分のそばにいる人をしあわせにする義務があるんだ。おまえだって自分のそばにいる人をしあわせにせにゃいかんのや」

「おっさん、そんなこと言っても無理や。おれもう死ぬんぞ。もう動けんのだぞ。人の役に立つって、何ができるかい」

「できるわい。おまえはな、みんなに邪魔にならんように工夫するじゃ。ろうそくはな、自分の体を焼き減らしてまわりを明るくするんじゃ。おまえも自分の体を焼き減らして囲りを明るくしな」

「おっさん、分かったぜ。俺は気に入らんと怒鳴ってやるんじゃ。院長の馬鹿野郎、殺せ、殺せと云ってやるんじゃ。これからはもう云わんようにするわい。静かにして死んでゆくわい。その代わり、おっさんも俺の言うことを聞いてくれ。
おっさんはよそへ行って、学校の子供に話すことがあるやろう。その時に、津田卯一というどうしうもないやつが、死ぬ前に言ったぞといってくれ。
小言を言ってくれる人がある人は幸せぞ。俺のように小言を言ってくれる人が一人もねえのはつまらんぞ。それに文句を言うのはぜいたくだい」

三上さんは、もう涙が出てしょうがなかったそうで、
「約束するぞ、俺は命のある限り、その話をみんなにしてやるから」と言って、「おっさん、おっさん」と呼び続ける声を背にして、断腸の思いで院長室へ戻って来たのである。

院長は、自分が呼んだ講師の先生が、死にそうな患者に一晩付き添ったのだから、帰るわけにはゆかず、室のソファーで寝ていたそうである。

朝食に、ご馳走がたくさん出た。院長が「どうしておかずを一つしかあがらんですか」と聞く。
「津田卯一の食べているものを考えたら、こんなご馳走はどうしてもいただけない」

院長は恐縮してお菜を一品しか食べなかったそうである。
食事を終わったら当直の医者が飛んで来て、津田卯一がたった今死にましたと告げる。

三上さんは茫然とした。

若い医師は、
「不思議なことがあったのです。あいつは、みんなの嫌われ者で、何か気に入らないことがあると、『殺せ! 殺せ!』とわめきたてていました。なのに、一晩でまるで変わってしまいました」という。

卯一の部屋へ入ったら、いつも悪態をつく卯一がニコニコ笑っていた。
「卯一、おまえ今日はごきげんなぁ」と言って、消毒水を取り替えて、診察しようと思って振り向いたら、もう死んでいた。笑顔のまま死んでいた。

その医者が、「卯一、おまえはかわいそうなやつだったなぁ」と言って、毛布を深くかけてやろうと持ちあげたらなんと津田卯一は、毛布の下で合掌して死んでいたのである。

親もなければ、誰もかわいがってくれない。仏教も知らなければ、人間の愛情も知らなかった津田卯一が合掌して死んでいたのである。

三上さんは、そういう経験をされたのである。そして、その三上さんも、津田卯一のいる天へ帰ってゆかれたのである。

小言を言われると、相手が親でもこん畜生と思う。そう思う前に、自分にとって悪魔のように、意地悪く見えるその人が、実は菩薩であるということに気がつかなくてはいけない。それを、それこそ何の学問もない、人間の屑のような生き方をした津田卯一でさえ知っていたのである。

どんないやなことを言う人間でも、ほんとうは自分にとっては菩薩である。
いやな人間をいやな人間としか思わぬような生き方、それはごくあたりまえの生き方であって、それではだめなのである。


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