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2016年03月27日13:54

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西郷隆盛「敬天愛人」



神渡良平「佐藤一斉 言志四録を読む」より。

西郷のいう敬天愛人の思想。その土台となるものは、「命(めい)を知る」ことである。
命に目覚めたとき、人は他人の思惑など気にせず、目標に向かってがむしゃらに突き進んでいく。そしてついにかけがえのない人生を全うするのである。

その意味で『言志録』の次の言葉は天啓であると思ったに違いない。
「人は須らく省察すべし。天何のゆえに我が身を生み出し、われをして果たして何の用にか供せしむる」(10条)
(人は誰でも次のことを反省し考察してみる必要がある。天はなぜ自分を生み出し、何の用をさせようとするのか・・・・)

こう問い、深く悟るとき、そこから強烈な自覚が生まれる。
人生は再び巡ってこないという自覚もそこから生まれてくる。一度かぎりの人生だから、自分に与えられた可能性の限界に挑戦してみようと思う。命(めい)に目覚めた人間は強い。揺るがない。不動である。そこでは私利私欲に駆られた欲望は自ら退けられていく。
だからこの条の後段は、いつそうわれわれを啓発する。

「われすでに天のものなれば、必ず天の役あり。天の役共(きょう)せずんば天の咎(とが)必ず至らん。省察してここに到れば、則ちわが身のいやしくも生くるべからざるを知らん」
(自分は天のものであるから、必ず天の仕事がある。この天の仕事を果たさなければ、必ず天罰を受けるだろう。こう内省すると、うかうか生きていてはいけないことに気づかされる)

かけがえのない人生を与えられ、かけがえのない人生を歩まされていただいていることの感謝が、具体的に手を与えられ足を与えられて実践できる自分の身体に向けられていく。人は自分を礼拝する境地まで行かなければならない。

「言志 耋 ( てつ ) 録」の次の一条も、恐らく西郷がくり返しくり返し反芻した言葉に違いない。
「自らを欺かず。これを天に事(つか)えるという」(106条)

西郷は「私心を去る」ことが修養の要であるとした。『論語』に、「君子はこれを己に求む。小人はこれを人に求む」というとおり、人に求めず、ひたすら修養に励んだ。

修養はその人を四角四面のおもしろみのない道徳的な人間に仕立て上げるのではない。そうではなく、その人の胆識と誠意を作っていく。

西郷の遺訓にある次の一節も、自分の弱さとの血を吐くような闘いから生まれた言葉である。

「己を愛するは善(よ)からぬことの第一なり。修業のできぬも、事の成らぬも、過ちを改むことのできぬも、功に誇り驕慢の生ずるも、みな自ら愛するがためならば、決して己を愛さぬものなり」(26条)
(自分さえよければ、ひとはどうでもよいというような心は、もっともよくないことである。修業ができないのも、事業が成功しないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇りたかぶる、みんな自分を愛することから来ている。決して自分を利己的に愛してはいけない)

その結果、たとえば内村鑑三が感嘆しているような人物が作られたのだ。
「(西郷の偉大さは)同じ偉大さでも、これは道徳的の偉大さであって、偉大さの中でも最高のものである」(『代表的日本人』)



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