先ほど日記にしたギーター本文第4章の次の条文について説明します。藤田晃「バガヴァッド・ギーター詳解」によります。
4.アルジュナ問う。「太陽神ヴィヴァスヴァットが生まれたのは、あなたの誕生よりはるかに昔のこと。あなたが彼にこの学問を授けたとは、いったい どのように解釈すればよいのですか?」
いとこであるクリシュナが、太初にヨーガを教えることなどあり得ないと思ったアルジュナは「ヴィヴァスヴァットは大昔に生れ、あなたはつい最近生まれたのに、あなたがヴィヴァスヴァットに教えたとは、どうしても納得しかねます」と素直に問いただします。
法華経15従地湧出品では、ブッダが「私は大昔からこれまでずっと、これらの多くの菩薩たちを指導してきた」と言うと、弥勒菩薩が、「あなたはシャカ族から出家され菩提樹の下で悟りを得てから40年しか経っていないのに、そんなことができるとは、私には信じられません」と、アルジュナと同じ反応を示します。
ヨハネの福音書8-57でも、ユダヤ人たちがイエスに「あなたはまだ50歳にもなっていないのにアブラハム(ユダヤ人の先祖)を見たのですかと問うと、8-58でイエスが「そうです。アブラハムが生まれる前から、私はいるのです」と答えましたが、イエスの言葉を理解できない人々はイエスに向かって石を投げつけます。
このように、時空を超越した根源的実在の顕現形態である主宰神(イーシュヴァラ)としてのクリシュナだけではなく、根源的実在と一体となった真の賢者である仏陀やイエスなどが「私」と言う場合は、時空を超越した存在としてあるゆる場所に遍満している永遠不滅なるものとしての私という意味合いをも含みます。
それ故、現象世界の観点からみると、目の前にいるクリシュナがこの世の開闢時に太陽神にヨーガを教えることなどあり得ませんが、根源的実在の観点からみると、何ら不思議ではないのです。
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