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2016年03月13日11:38

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ギーター第2章-31(人生とダルマ)

バガヴァッド・ギーター第2章-31についての解説です。

【書き下し文】
武士階級(クシャトリア)の義務から考えても、正義(ダルマ)を護るための戦いに、参加する以上の善事はないのに、どこに、ためらう必要があるのか。


藤田晃「バガヴァッド・ギーター詳解」は、第2章-31を以下のように訳して説明していますので、転載します。

【書き下し文】
自身のダルマを考慮しても、君はわななくべきではない。実に、武人にとって、ダルマの戦いより良いものは他にないから。

【藤田晃解説】
「武人(クシャトリヤ)として生まれた人にとって、ダルマの戦いは自身のダルマを行う絶好のチャンスなので、そのように動揺して参戦に躊躇すべきではない」とクリシュナは、自身のダルマに基づいた行為を精一杯行ないさえすればよいという、賢者が嘆かない新たな理由を教示し始めます。

本節は一般的には義務、正義と解し、正義の戦いという自己の義務を果たすための場に遭遇することは、武人にとってこの上もなく良いことであると解されています。しかし、ダルマをあるものをあるものたらしめるものという根本的な意味に解すると、本節にはもっと深い意味があると気づくことが出来ます。

自身のダルマは自分自身を自分自身たらしめるもの、この人生においてそれをしなかったら自分ではなくなるもの、どんなことがあっても自分がすべきことです。

アルジュナが武人として生まれたのは偶然ではありません。武人として生まれることが彼の輪廻の主体としての魂の進化向上に適していると、その魂が判断したからです。武人として生まれ、武人として直面する様々な戦いを無心に精一杯戦うことで心が浄化し、『かのもの(※)』の知識を得て根源的実在に回帰するという人間のダルマを行う準備ができると判断したからです。

※藤田晃氏は宇宙の唯一絶対的存在を『かのもの』と表現しているようです。

ダルマをこのように解すると本節は、「自身のダルマに従った行為を無心に精一杯行なうことは、わななくべきことではなく、『かのもの』の知識を得るという人間のダルマを行う土台作りとなるので、人間としこの上のもなく良いことである」となります。

。

自分の意思とは関係なく、自身のダルマに従って自分が行うようになってくる様々な困難な出来事は、私たちのこだわりや執着の撲滅、真理の会得に資するためのものなのです。しかし、そのような素晴らしいチャンスでも、恐怖、不安、不満、ねたみ等の思いを持っていやいや対処していると、煩悩性の潜在印象を増大して真理から遠のいてしまいます。せっかくめぐってきた絶好のチャンスは、逃すことなく十分に生かすべきでしょう。



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