mixiユーザー(id:5089039)

2016年03月11日01:52

301 view

岩波文庫『バガヴァッド・ギーター』紹介



http://sekibang.blogspot.jp/2011/09/blog-post_11.html

『マハーバーラタ』といえば高校時代の世界史の授業で習った覚えがある、という人も多いかと思います。

『バガヴァッド・ギーター』は、この『マハーバーラタ』から抜粋された「神の歌」という意味の部分です。『マハーバーラタ』という物語はガンジスの女神と結婚した王様の一族が、次第にふたつの勢力に分かれ、血で血を洗う抗争を繰り広げる一大叙事詩なのですが、『バガヴァッド・ギーター』は「いざ、決戦」という直前になってパーンダヴァ軍の皇子の一人、アルジュナが「なんで、血族同士で戦わなきゃいけないのですか」と戦意を喪失するところからはじまります。

ここまでに至るあらすじについては「まえがき」で紹介されていますが、本書で一番読むのがつらいのは実はこの「まえがき」。一族の系譜がものすごい勢いで説明されるので、登場人物を覚えるのは至難の業です。しかし、本文に入れば登場人物はアルジュナとクリシュナしかほとんど出てこない(というかずっとクリシュナが話している)ので、とりあえずは問題なし。一族がどうして戦争を始めてしまったのか、ぐらいを漠然と把握しておけば良いのかと。

戦意を喪失するアルジュナに対して、クリシュナが聖なる知識を授けて迷いを消させるところは、延々と古代インドにおける存在論・宇宙論が語られています。これが最高に面白い。西洋哲学の術語系とはかなり違った言葉遣いがされますので、読みやすいとは言いがたいのですが(しかし詳細な解説がつきますからご安心を)、井筒俊彦の著作などに触れていればそれほど馴染みがない世界ではありません。

クリシュナは、アルジュナの前にブラフマンの化身として現れる。このブラフマンは「この世界のはじまりであり、おわりであり、全てであり、頂点であるような存在」で、乱暴に言えば、哲学的境地に達することとは、アートマン(人の個我、主体的意識と換言可能でしょうか)をブラフマンと一体化させることによって可能となる、という風にまとめられると思います。

こうした哲学がどうしてアルジュナの迷いを消すのか、っていうか戦争前にする話じゃないだろ、というのは誰しもが疑問を持つところです。けれども、そこが繋がるのですね。「血族で争ったら勝っても負けても良い結果にならない!」というのがアルジュナの言い分で、これに対してクリシュナは「アナタはクシャトリヤ(武人)なのだから、戦うのが仕事。それを放棄したほうが悪い結果になりますよ」と言います。

クシャトリヤ(武人)に生まれたアルジュナの場合、戦いを放棄することはブラフマンによって定められた神明のようなものを放棄することになってしまう、神明に基づく行為に則らなければ哲学的境地にも立てないよ、と。

この行為によって境地へと達する、という部分がとても興味深いと思いました。禅道などを考えたとき、俗世を捨てることによって境地への道に入っていける、というメソッドを想像しがちですが、ここではそれと真逆の方法が語られるのが面白いです。




4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031