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2016年03月07日07:56

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隔世の感…

■春でお別れ「最長特急」大阪しなの、区間短縮で名古屋発着へ
(しらべぇ - 03月06日 11:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=3884916

>「大阪しなの」が走る大阪・長野間の営業キロは441.2キロ。所要時間は、長野へ向かう9号で4時間56分(8時57分発・13時53分着)、大阪へ向かう16号で5時間14分(14時4分発・19時18分着)に達する。

かつて始発から終着まで1,000キロ以上走る列車が珍しくなかった時代をリアル体験しているものとしては、400キロ台、5時間前後で最長距離と言われると却って驚くよ。

そう言えば、大阪〜青森間を走っていた頃の[白鳥]って、1,059キロだったかな?昼行列車としては最長を誇っていたが、実は昼行特急の最長距離は東海道〜山陽新幹線の「のぞみ」・「ひかり」が実キロ1069.1キロ(営業キロでは1176キロ位)だったりする。

441.2キロを5時間で走るなら表定速度は時速88キロ。在来線の特急列車としてはかなり速い部類だね。殊に急勾配や急曲線の続く中央西線を経由していることを思えば振り子車の本領発揮と言えよう。
しかし長野行きに対し大阪行きが18分も余分にかかるのは何故だろう?停車時間?名古屋駅辺りで進路が開くのを待たされる?

それとも…大阪行きは新垂井経由だから距離が延びる分不利なのかな?確かにあっちは勾配緩和が目的でありしかも蒸機時代に造られたから勾配は緩くてもカーブは結構きつい。SL牽引の貨物列車なら元々スピードは出ないから少々の急カーブもあまり気にならなかったのかな?もっともカーブがきついと曲線抵抗ってのがかかる。まして東海道本線は本邦最重要基幹動脈幹線で戦時中には1,000トンから1,200トンに牽引定数を挙げたが当時の貨車は平軸受けの2軸貨車(更には3軸のトキ900なんてのも混ざっていた)だったから曲線抵抗もあまり無視できなかったんじゃなかろうか?

急カーブと言っても半径400メートルは然程のモノではないし時速70キロ程度で通過できる。SL時代ならたとえ高速優等旅客列車であっても足枷にはならなかったが、近代動力車にはこれは足枷になる。

「しなの」の383系なら振り子機能を使えばここを時速100キロでも通過出来ようが、この僅かな区間だけ振り子機能をオンにするのは却って手続きや操作が煩雑になってやりにくいかな?あ!それ以前に東海道区間の担当動力車乗務員にその研修をせねばならないからそっちの方が大変かもね。

それか大阪行きも垂井周りの旧線経由ってのはどうなのだろう?蒸機牽引ならいざ知らず、383系は電車編成、たかが20‰程度登れないわけがない。
(華やかなりしころの東海道ブルトレ群も、EF65やEF66なら現車14両換算51両持ってもこの坂を登れないわけじゃない(唯一心配なのはEF58牽引列車位だね。現車10両以上の長モノだときつかろうが、12系・14系座席車での6両程度=換算22両=やお座敷列車=6両編成で換算24両=なら同機でも登れるだろうが)

新垂井経由だったとしても18分違うのはちょっと意外だけどね。

ダイヤ改正には光も有れば影もある。勇退する大阪[しなの]には万雷の拍手でもって功績を讃えたい。

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