菜根譚前集83項に次のように言っています。
【現代語訳】風が起れば竹の葉は騒ぐが、吹きやめばまたもとの静寂にもどる。雁が渡るとき淵は其の影を映すが、飛び去ればもはや影を留めない。
君子の心も、事が起ればそれに対応し、事が過ぎればまたもとの静けさにもどるのである。
【原 文】風、疎竹(そちく)に来る。風過ぎて竹に声を留めず。雁、寒潭(かんたん)を度(わた)る。雁去って潭(ふち)に影を留めず。故に君子は事来たりて心始めて現れ、事去って心随って空し。 (菜根譚前集83項)
『荘子』にこうあります。
「至人の心は鏡のようなものである。過ぎ去ったことにも遠い先のことにも思いわずらうことはなく、来るものはそのまま映し出すが、去ってしまえばなんの痕跡も留めない。だから、どんなものにも対応できて、しかも傷つけられることはまったくない」。
言志四録でも「言志録17」で、全く次のように同じことを言っています。
【現代語訳】心静かにして天地万物の創造化育の跡をみると、皆少しの無理もなく、しいて事をかまえたようところが全くない。
【原 文】 静かに造化の跡を観るに、皆其の事無き所に行なわる。 (言志録17)
川上正光全訳「言志四録(1)」に我々も万事、自然に任せて、無理をしないのが宜しいということであろう。筆者は相馬御風の歌を思い出す。
「大空を、静かに、白き雲は行く、
われも静かに 生くべかりけり」
・・・・以上、。
「私が・・・」「自分がやった・・・」という自己主張がまったくありません。「得意淡然(とくいたんぜん)、失意泰然(しついたいぜん)」という言葉があります。
「得意のときに驕り高ぶることなく、失意の時にはゆったりと構えている」ということです。どんなこと、病気、大損、不幸の時、浮世の毀誉褒貶、逆に大勝利、栄誉、表彰、逆に、大成功した時でも、バタバタしないということです。
※「菜根譚」はすぐれた「人生の書」として、昔からから多くの人に読みつがれ、日本でも、先人たちはこれを「心の糧」とされてきました。
菜根は、堅くて筋が多い。これを噛みしめてこそ、ものの真の味がわかる。400年前、中国明代の末期に儒・仏・道の三教を修めた洪自誠が簡潔な語録の形でまとめたのが『菜根譚』で、短い文章であるが、含蓄ある言葉です。
※佐藤一斉「言志四録」は人生の知恵を記したものとして坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛、伊藤博文、山形有朋など数多くの幕末の志士たちが範とした名著で全4巻、1133条からなり、今もトップリーダたちの座右の書として高く評価されています。
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