スァミ・ヴィラジェシュワラ「科学で解くバガヴァッド・ギーター」(たま出版)の中の文章です。
河の源流は実に小さな流れであり、無限の広さを持つ大海とは比べものにならない。大海と同じ水として生まれ遠くの山から発した河は、山岳、砂漠、谷を通って大きくなり、河という本質を獲得し、途中の人間、動物、植物、鉱物などすべてのもののために奉仕し、自分を捨ててその義務を果たす。
そして最後に河は、その本質を後に残して大海に流れ込み、大海と一つになるのである。
私たちが心の目を開いて見れば、自然の至る所に無私の姿を見ることができる。
すべてのものが無私の奉仕を行っているにも拘らず、人間だけが例外で利己的である。先に河川が行う無私の奉仕行為について説明した。
ここでは、植物のリンゴの木を例にとってみよう。
リンゴの木は自分のためにだけに生きているか・・・・?
リンゴの木は地下から水を吸い上げ大空から空気を呼吸し、最高のリンゴという果実を造りだしている。リンゴの木はその果実を隠したり、また自分のために蓄えることもしないし、誰でもリンゴを採ることができるようにしてくれている。
リンゴの木はその所有者に特権を与えているわけでもなく、敵も味方もない。石を投げつけたり枝を折ったりする若者にも、常に世話をし、水や肥料を施してくれる農夫に対しても公平である。
誰でもがもぎ取って食べたり、それを売ってお金を儲けることができるように、リンゴを実らせている。
またリンゴの木は誰にでも雨や強い日差しを避けるため木陰を提供し、自然のすべての過酷な扱いに耐え忍んで完全に平静さを保っている。
動物の世界から牛を例にとってみよう。
牛の全生涯は犠牲そのものである。牛は乾いた役に立たない草を食べて牛乳を出す。言い換えれば、最も粗末な原料から最高の食物を造りだし人間に提供しているのである。
人はしばしば動物に対して残酷なことをするが、動物はすべての虐待を辛抱している。
最も恩知らずの動物である人間は、他に利用の道がなくなると喋ることのできない動物を無慈悲にも屠殺しその肉を食い、皮や骨を売って金を儲けているのである。
大宇宙の万物は、無私の奉仕に基づいて存在している。どうして人間だけが例外を許されるのであろうか?
人間もまた宇宙の万物の一部であり、最高の智慧を持っている万物の霊長であるから、もっと親切に他を保護し無私の奉仕の模範を示すべきである。
それにも拘らず、逆にその智慧を悪用して自分の欲望を満足させ、他のすべての生物を無慈悲に虐待し宇宙の万物の営みを無意味なものにさせているのである。
人は人生の目的を忘れており、その悪い性癖によって宇宙の万物のサイクルを乱している。
万物の営みは無私の奉仕行為によって動かされているという原則は、下等生物から人間のレベルに至るまですべての生物に適用され、これに従うのは当然のことであり、知覚力のない植物や動物もすべてこの原則に従っている。
しかし、人間はこの原則を破る最大の悪人である。悪人が処罰されるのは当然であるから人間は罪を免れることはできない。
しかし、誠実にこの原則に従い償いする人間は・・・・。 (以上)
バガヴァッド・ギーターはインドの聖典で、無私の行為をすることを人生における最高の目的とし、その境地に達する道を説いています。
「バガヴァッド・ギーター」は、インド古典中もっとも有名で、ヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきました。表題は「神の歌」の意で、インドにおいて、2500年も脈々と受けつがれてきました。そして、聖書に次いで世界で2番目の発行部数を持つ書といわれます。
インドにおいて、2500年も脈々と受けつがれてきました。
そして、聖書に次いで世界で2番目の発行部数を持つ書といわれます。
マハトマー・ガンディーも、
「ギーターによって常に私は平安を得た。私がまったく孤独に陥った時、周囲から絶望に囲まれた時、そして一縷の希望もそこに見出せなかった時、私はギーターに救いを求め、そして私は人生の恐ろしい試練の中でも頬笑みが訪れるような詩句をあちこちに見出した。
私の人生は外的な苦難に満ちている。しかしそれらは私自身に些かの痕跡も残していないのは、このギーターの教えのお陰である・・・」と述べています。
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