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2016年01月16日00:04

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葉室頼明氏「医師から宮司へ」



大阪国学院の通信教育
 葉室の家はもともと朝廷の宗教的なことをやっていたのでしょう。明治になって公家の制度がなくなり朝廷とは縁が切れたのですが、曾おじいさんも、おじいさんも、親父も皆神職でないのに宮司になっています。
 曾おじいさん 談山神社宮司
 おじいさん 金刀比羅宮(東京)宮司(元軍人)
 親父 下賀茂神社宮司(元銀行員)

だから不思議な伝統があるものだなと驚きました。

 私は医者だったから、まさか私が宮司になるとは夢にも思っていなかったのです。ただ春日大社には3月13日に春日祭というお祭りがあります。そして私も春日大社には10何年も昔から、毎年お祭りに参加していたのです。

 というのは京都の公家が勅使やら副勅使の役で参加するのですが、私も藤原家の公家の代表ということでやっていたのです。(註:葉室家は藤原氏の出身)
 装束を着て、笏(しゃく)を持ってやるわけですが、春日の神職と私では持ち方がどうも違うのです。僕は医者で、素人だからさまにならないのです。どこがどう違うのかわからないが、さまにならない。
 そのうち僕の友人が、
「お前も親父が宮司だから少しは勉強しろ」
と言って、大阪国学院という通信教育で神職を養成する学校のことを勧めたのです。

僕は医者をやっているから、神職の学校にべったり行くわけにはいかない。通信教育ならべったり行かなくてもいいし、そこへ行ったら笏(しゃく)の持ち方を教えてくれるかなという気持ちで願書を出したのです。
 入学してみたら勉強の厳しいこと、通信教育を馬鹿にしていたけれど、毎月すごいレポートを出して、のべつ勉強しないと追いつかない。本当は2年行くんだけど、1年で止めてしまったのです。
 ところが同期の人がせっかく1年行って、あと1年行かなければもったいないと、僕に内緒で次の2年目、権正課程へ行く願書を出してしまったのです。それで学校から入学式の案内が来た。
「誰がこんなことをしたのだ。おれは2度と行くつもりはない」
と断りに入学式の日に行ったら、先生が、
「よく来てくれた、もう1年一緒にやろうな」
と言われる。それでやめられなくなって、結局2年行くことになったのです。

 まあ、しかし、これは神さまの導きだから、やるんだったら徹底してやろうと思いなおしました。
 最後に卒論があります。僕は医者だから医学から神道を考えて、「医学と神道」という論文を書きました。ところがこんな論文は今まで見たことがない、これを新聞に載せようとなったんです。それで一躍有名になりました。
 卒業のときに僕が成績で2番、一橋大学を出た秀才がいて、彼がトップでした。卒論は僕がトップで、その人が2番。2人だけが優秀で出ました。

 すると優秀なやつが2人出たから、さらに正階、明階と一番上の神職までの資格をとらせようということになった。私はそんなことは露知らず、卒業式が終わって、これで神職の勉強をすることはないから、2度と見たくないと思い、帰りに教科書を捨てて帰ろうと思っていました。

神職の最高階位に合格
終わって帰ろうとしたら、ちょっと来てくれと言うのです。
「これからは学校じゃないんだ。検定試験に行くグループに、君が入っているから、行ってくれ」というのです。

「入ったと言われても、私は入ると言っていないじゃありませんか」
「いや、君も行ってくれないと困るんだ」
結局、トップの人と僕と、あと10人くらい行きました。
そして1年後、僕とトップの人だけが正階の検定に一発で合格しました。一番上の明階の試験は大変で、3回目の受験で私とトップの人が2人、やっとのことで受かりました。
 神社界もこれにはビックリしました。病院をやりながら受かったというのは、前代未聞の出来事です。評判になりました。その時がちょうど、私が無我の手術ができた時なんです。一致するのですね。

枚岡神社の宮司に
 合格したとたんに、枚岡神社の宮司さんが辞めることになった。そして後任を決める神社界の会議で、私が適任だということで、僕が知らない間に決まってしまいました。

 そこで神社庁長さんに呼ばれて、
「あなた、病院を辞めて枚岡神社に行きなさい」
「冗談じゃないですよ。僕は病院で患者を治療しているんです。それを辞めるなんてとんでもないことです」
と言いましたが、いや、これは神さまのお導きだ・・・・ということになったんですね。
 
枚岡神社は藤原氏の関係の神社、春日大社より古く2千何百年の歴史があります。奈良時代にこの神社の神さまをお移してできたのが春日大社です。だから春日の元なんです。そこへそんなこととは知らないで行ったわけです。

春日大社の宮司に
そして枚岡神社にも慣れて、これから大いに神社を発展させようと思っていたところ、春日大社に行けとなったのです。

 私が就任したのが平成6年8月1日。春日大社には伊勢神宮と同じ20年ごとにお社を新しくする式年造替という制度が平成7年にあり、その1年前に就任したのです。
しかもこのたびのご造替はご本殿だけでなく、その他の多くの建物も同時に改修される、春日にとってもまれなる大事業でした。

後に参拝者の人や20年前の遷座祭りを見た人がいっぱい来ていましたが、こんなすごい祭りは見たことがない、体が震えたと言われました。 見えないんです。だけど神の力を感じました。

 古文書に昔のやり方が書いてあります。なぜこんなことをしなければいけないのか、いろいろ書いてあります。

「宮司秘伝の秘」といって、宮司にしか見せない作法がある。だがみんなはそんなことを知らない。こんなことをなぜするんだと。だけど理屈を言うな、そのとおりやれと。みんな理屈を言わないで、そのとおりにやったんです。そうしたら神が出てこられた。神さまは理屈のない世界におられるのです。

不思議な神の導きで
本当に不思議なご縁で春日大社に就任し、式年造替にご奉仕することになりました。
枚岡神社に就任した時、医者が突然、物好きにも宮司になったと、総代さんや氏子さん、世間の人たちも思ったようでしたが、しかしその時、私には特別の世界、特別の神社という意識はなく、ごく自然に宮司に就任したわけです。春日大社も同じです。自分でなろうという気は全くなく、あれこれと思い悩むこともありませんでした。

 ただ、今まで私が歩んできた人生、まさしく波乱万丈の人生を乗り越えてきたなかで、いつも「不思議なお導き」が働いていることを実感しました。

神さまは私を春日大社の宮司にするために、わざと遠回りをさせていろいろなことを学ばせてくださった。
 ・大阪に行ったのもそうです。
 ・医者になったのもそうですし、
 ・形成外科を始めたのもそうです。

人生のすべてが神さまに近づくための導きであると思います。式年造替をさせていただいて、さらにその思いが強まりました。

 神さまに導かれて来た私の春日での使命は、神さまの偉大さを世に伝え広めることであり、そして人間としてどう生きるべきか、間違った知識を正し、世の中の本当のことを
1人でも多く知ってもらうことだと確信しています。

 すべては神さまのため、神様の御心にかなう人生です。本当の神さまのお恵みをいただくために、本当の感謝の心を知ってもらうために、生きていきたいと思います。


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