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2016年01月11日09:57

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葉室頼明氏「無我の手術を求めて(2)」


形成外科を目指す
その時から、僕は死ぬところを神さまに救われたんだから、何とか人さまの役に立つ人生を送ろうと思いました。

医学部の大学4年生になると、病院の各科を回るのがあります。外科へ行ったとき、生まれつき身体に変形があって生まれた人、特に顔に変形があって生まれた人がいっぱい大学病院へ来ていました。

阪大病院へ行ったら治してもらえると思って、地方から来るのです。今だったら形成外科で治してもらえるのですが、当時の日本には形成外科はまだありませんでした。

ただ診察するだけで、どうしょうもない。本当に悲しそうな顔をして帰っていくのが気の毒でしょうがありませんでした。なんとか、ああいう人たちが幸せになれないか、と学生のときから思い続けるようになりました。

(形成外科とは、先天性および後天性の身体外表の形の変化、つまり醜状を外科手術を用いて正常にし、個人を社会に復帰させることを目的とする外科の一分野のこと)。

当時、外科では顔に手をつけてはいけないという、きまりがありました。手術でおかしくなったら大変だということが理由でした。
手を着けてはいけないというなら、あの人たちはどうなるのだろうか。見るにもかわいそうな変形の人たちの一生が、あのままでいいのか。僕が治そうと思ったんです。

ところが本もなければ、教えてくれる先生もおりません。他の人たちは、外科とか、内科とか、耳鼻科とか自分の希望のところへ行って勉強するわけです。ところが、僕だけ行くところがないのです。形成外科がないんですから・・・・。


脳外科の研究室へ・・・このことも神の恵み!
どこへ行くところもなかったそんな時、大野病院の義理の兄貴から、脳の教授の研究室へ行けと紹介してくれました。
ところが、これがまた神さまのお導きであったのです。弟子は先生からテーマを貰って研究するわけですが、どうしたことか、私に「傷はどういうふうにして治るか」をテーマにしろというのです。そんなテーマは本来、脳の専門分野ではなく、脳専門の教授が出すはずはないのです。私が形成外科をやりたいということを知らないのに、不思議に、私だけにそのテーマをくれたのです。

そしてただひたすら傷はどういうふうに治るのかというのを顕微鏡で毎日見て、そこで博士論文を書いたわけです。

それが後になったら、形成外科の基礎の基礎、本当の基礎だったんです。
この研究は世界で初めてで、世界的な研究だったのです。(後になって知りましたが・・・)そのおかげで傷がどうやって治るか、体で覚えることができましたし、傷を見たらどうなっているのか、それを表面だけではなくて内部までわかるようになりました。

皮膚科でも・・・神さまの導きか
そのうち大阪の府立病院の皮膚科へ行ってくれとなりました。ところが皮膚科の部長というのが普通の皮膚科の先生の考えと全然違うのです。薬で治すのではなく、包帯、それも特殊な包帯、皮膚を刺激しない包帯を使って治すのです。
これがまた形成外科の基本なのです。その勉強をしたおかげで、今僕に包帯を巻かせたら世界で一番うまいと自負しています。

また先生から、末梢の血行を良くする方法etc、先生のこうしたやりかたや、考え方すべてが、後の形成外科にものすごく役立っています。

日本一の形成外科の先生のところへ
その当時、日本でただ1人、形成外科を研究している先生が、九州大学にいました。そこへ、勉強に行ったのです。

普通の医者は、先生の弟子になっても、先生の指導が厳しく、また先生の考えが理解できないため、頭の切り替えができず、3ヶ月と続かない。皆逃げてしまうのです。
そんな先生のところに、私は4年おりました。先生は「私に初めて弟子ができた。嬉しい」と喜んでくれました。
ここで形成外科のあれこれ、たとえば唇裂手術のコツなどの極意を数々学びました。

大野病院の院長に
ところが、ある日突然、僕の義兄、大野病院の院長が脳溢血になって死んだという連絡が入ったのです。それで僕が大野病院の院長になったのです。

(大野病院:大正時代に創立された外科専門の、当時としては大阪でもっとも大きな私立の病院。現在、大野記念病院と改称し、内科を含めた総合病院として運営されている)。

ところが、大野病院には内臓外科、一般外科の病院で専門の医者がいっぱいいるのです。しかも、千葉医大のベテランの教授が来て、副院長になっている。その上に、私がのっかったわけです。

私は形成外科ですが、その内容については、他の皆さんには全然わからない。私は他の外科の手術はしない、当時、日本には形成外科という科がないものですから、看板を出すわけにも行きません。だから患者は一人も来るはずがありません。

そのうち皆がバカにしはじめたのです。医者も看護婦も言うことをまったく聞かなくなり、困り果てていました。

助産婦会会長との出会い
そんなある日のこと、これも神さまのお導きだと思います。助産婦会会長をしている参議院議員の先生が、選挙で大阪に来られた時、大野病院で僕と会うことになりました。

そして僕の仕事の話をしたら、大変喜ばれ、
「助産婦が赤ちゃんを取り上げたとき、顔に変形のある赤ちゃんが生まれたらどうしようもない」と言うんです。

病院がないから助産婦は困りはてているというのです。

そして、助産婦の機関紙に大野病院の形成外科の紹介記事を詳しく書いてくれました。その結果、全国から患者がわっと来るようになったのです。いろいろと神さまの奇跡というか、導きというか、一つ欠けてもできなかったんですね。
やがて大野の義兄の長男が一人前の医者となり、大野病院の経営を、私の弟と病院長になった義兄の長男に任せて、私は形成外科専門の病院を天王寺区の寺田町に建てたのです。

形成外科病院を開業
大野病院にいる先生の紹介で、大阪市立大学の麻酔科の先生が来てくださった。大阪市立大学の麻酔科は形成外科の手術では世界一だと僕は思っています。

専門医はそれぞれ自分の考えで手術をしますが、結局それを行う医者の考え方の問題だと思います。
たとえば、組織が不足しているところには、他から組織を持ってきて、足せばよい。また余分な組織は切り捨てればよいという考えで行う手術があります。

しかし、人間の顔は神さまがお造りになったのだから、組織が不足していることはない。正常な組織は全部揃っている。ただそれが歪んで変形しているだけだから、元の形に戻せばいいという考えで行われる手術とは、同じ手術を行っても、全く結果が違ってきます。

私は後者の考えで手術を行ってきましたから、どこからも組織を足したこともないし、かけらも組織を捨てたことはありません。そのほうが手術は難しいのですが、患者さんにとっては最も良い方法だと思っています。

何時か、麻酔の学会で、麻酔科の先生が僕のこうした手術のやりかたを発表しました。そうすると、他の麻酔の先生が嘘だろうと言うのです。そんな麻酔ができるわけがない。だけど、できるわけがないと言っても、実際にやったんですから、しかたがありません。

祈りの手術
私は神さまの導きによる手術をやらない限り、100%の結果は得られないと思って、私は祈りということを始めたわけです。

手術する前に祈りを行って、神さまの導きによる、無我の手術ができるよう念じて手術室に入るのです。

我(が)の手術をやめよう。私が医者として患者を治すということを一切やめよう。神さまの導きによって手術をさせていただくのだ。こういう心境で手術をしようと祈って、無我になったつもりで手術を始めるわけです。

普通、形成外科の手術はだいたい1時間半から2時間で終わります。僕は7時間ぐらいかけます。7時間でも僕は不足だと思うけれど、最低これだけやらねばできません。

7時間というのは赤ちゃんが麻酔をかけておられるギリギリの時間です。これ以上かけたら危ない。そこまでやることにしたのです。

最初は神さまの導きで、させていただきますと手術を始めます。ところが2時間、3時間経つと、こっちがくたびれてきます。そうすると、だんだん我(が)が出てくるんですね。7時間ともなると、最後は我(が)の手術になってしまいます。それで、ああ、今日もダメだったなあ。その連続です。40年位それでやってきました。

僕は還暦過ぎて62、3歳ぐらいだったか、生まれて初めて神様の導きによる手術を始めから終わりまで行うことができました。
その頃は体力もないし、目も衰えていました。だけど若いころは自分の体力で手術しようとしていた。年取ってくるとそれがなくなってしまったから、無我の手術ができるようになったのかもしれません。

婦長も、20何年一緒に手術をしてくれた方です。
「できた」といったら、
婦長も、
「先生、できましたね」と言ってくれました。
その結果がこんなにもきれいになるのかというほどの成功でした。
そのお母さんが大変喜んでくれて、今でも神社へお参りに来てくれます。
無我の、神さまの導きによる手術が初めてできて、よし、これからはこれでいこうと。

僕は年をとったけれども、これだったらできると。そしてこれから大いにやろうと思ったちょうどその時に、なぜか、私が枚岡神社の宮司になってしまったわけです。



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