有原末吉「教訓例話辞典」より。
日本におけるキリスト教の先達として、山口県秋吉台の大理石山に採掘に従事している本間俊平翁は、人生の戦いに傷ついた青年の父となり、また友となって、人間苦の解決にその生涯をささげている。
ある時、秋吉台に流れてきた相川という刑余者(前科のある人)を世話した。この男は一時横浜の警察署で警部まで勤めたが、ふとしたことから堕落して強盗を働き、6ヶ年入獄して出てきたかと思うと、また罪を犯して7カ年入獄したという前科者であった。
秋吉にきても、なかなか本間翁のいうことを聞かないので「あいつは何をやり出すかわからぬ」と忠告する者もあったが、翁は気にもかけず、相変わらず面倒を見ていた。
一日この相川は本間翁に用事があるといってやってきたが、外出中であったので婦人が玄関に出ると「先生はおらんですか。じゃあ奥さんでもいい、実は俺の使っている若い者の中で、なまけてばかりいる奴がいるが、あいつを今日限り放逐して下さらんか」と、横柄な態度である。
夫人は「さあ、でもその方が自分で出ていかれるならともかく、せっかくお世話してきたのが水の泡になりますから、あなたも辛抱して使ってあげて下さいな」と穏やかに言ったが、「じゃあ、どうしても追い出さぬというのだな」と、相川の言葉は、ぞんざいで脅迫がましくなった。
夫人が「まあ、許してあげて下さいましね」というと、「なにっ、女のくせに生意気言うねい」と、彼は発作的に隠し持った短刀を出したかと思うと、いきなり躍り込んで、ぐさと夫人の左の腕を刺した。
「あっ!」と叫んだ夫人は、次の瞬間凶暴な相川の眼をいたわるように見返しながら、右手で傷口を抑え「やみ路を照らせり神は愛なり」と、静かに讃美歌を歌い出した。一節を歌うと立ちすくむ相川の顔を見ていたが、急にめまいがしたのか、ぱったりと前に倒れてしまった。
急を聞いて本間翁はわが家へ駆けつけたが、相川を叱ろうとはしなかった。
「おい相川君、君のやったことだから、すぐお医者さんの所は連れて行ってくれたまえ」という声も、いつものように優しかった。
何という寛大な心であろう。それこそ「神は愛なり」をそのまま実行したものではないか。さすがの相川も愕然として翁を見上げるばかりであった。そしていわれるままに夫人をかついで医者の所に走っていった。
相川は以来全く本心に立ちもどり、いまは大阪にきて全く生まれ変わったように、感化事業に専心しているという。
【解説】
これは有名な本間俊平夫人遭難の話であるが、夫人が短刀で刺されながら、これを責めるでもなく、また恐れるでもなく「神は愛なり」の賛美歌を歌い出したというのは、全く普通の人間にできることではなく、それこそ信仰の力であろう。また本間翁がこの凶悪な犯人を見て、一言も責めることなく、人の道を教えるところ、これも常人の企て及ばない進行ある者の態度であろう。
日本の公立学校には宗教教育は行なわれていないが、せめてこのような話をして、親交の力の偉大なことを知らしめたいものである。
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